【石毛博史コラム 火消しは任せろ(19)】2002年に近鉄を戦力外になり、ロッテとヤクルトのテストを受けてダメでした。12球団トライアウトがあるというんで受けようか、もう野球をやめようか、と考えていた時、阪神で投手コーチになられた巨人の先輩の西本聖さんから電話をもらったんです。「お前、来年どうすんの? 明日テストあるけど、来る?
鳴尾浜にピッチングしに来ないか」って。テストは2日間あって、1日目は終わっていた。エントリーも終わっていたのに僕の電話番号を調べてわざわざ連絡してくれたんです。
すがる気持ちで翌日に鳴尾浜に行きました。ロッテとヤクルトの時って受からなきゃと思ってすごく力みまくったんです。それが阪神のテストでは急だったのに冷静でブルペンでいい投球ができた。なんでですかねえ。星野仙一監督が後ろで見てても硬くならず、星野さんから「まだいけるやないかあ」って言ってもらえた。聞くと合格者の枠2名はもう決まっているのに、それを1名外して僕を入れてくれたんです。星野さんに認められて受かった。
声をかけてくれた西本さんに本当に感謝ですし、あの電話がなければテストのことも知らなかった。トライアウトを受けていたかもしれないし、もうやめていたかもしれないですもん。巨人にいた人間がタテジマを着るなんて思ってもいなかったですよ(笑い)。
人気球団なので新鮮な気持ちでした。パ・リーグを経験してまたセ・リーグの野球に戻れる。巨人と対戦できるし、燃えるものもありました。星野さん、西本さんに恩返ししなきゃいけない。でも僕は元巨人…。阪神ファンはどう思うんだろうって思っていたら、2月のキャンプで「優勝はしなくても巨人をやっつけてください」って(笑い)。阪神ファンってそういう思いなんだ。巨人にいた石毛ではなく、阪神の石毛として巨人を倒してくれと。温かいな、と思いましたよ。
巨人時代、阪神戦でヤジられても気にしていなかったですし、仕事なんで割り切って考えてました。巨人が阪神を特別に意識しているわけではないですし、だからあれだけヤジられたから阪神に行きたくない、なんて1ミリも思わない。逆に楽しみしかなかったです。
2003年は星野監督の2年目。チームも日本ハムから片岡篤史さん、下柳剛さん、中日から矢野輝弘さん、広島から金本知憲さん、大リーグから伊良部秀輝さんと、他球団から来た選手がいたし、入りやすい環境でした。生え抜き選手と外様選手が融合してバランスのいいチームという印象でしたね。
星野さんを前にするとみんなピリッとなりますよ。怖いというイメージあるけど、分かりやすかった。投手だったら四球、野手だったら見逃し三振。そこだけ気をつけていればいい。星野さんの怒るポイントというのは…。












