【石毛博史コラム 火消しは任せろ(18)】2001年9月26日、近鉄は北川博敏の代打満塁逆転サヨナラ本塁打で優勝しました。二軍だった僕は大阪ドームに呼ばれ、歓喜の瞬間に立ち会えた。その日の2週間前の9・11、アメリカのワールドトレードセンターに飛行機が突っ込むテロが起き、多くの人が犠牲になった。それでビールかけ自粛ということだったんですが…実はやったんです。

 グラウンドでのセレモニーが終わると、そのままユニホームでドーム内の風呂場に直行。15年ぶりの優勝だし、そのためにみんなで頑張ってきたんで「やるぞ」って。風呂場なんですぐシャワー浴びれるし、掃除も楽。巨人時代にビールかけを経験してはいても、格別ですよ。監督、コーチはいなくて選手と裏方さんだけで内緒でやらせてもらいました(笑い)。

 日本シリーズの相手はヤクルト。でも日本一に向けての練習が僕から見たら緩かったんです。巨人時代に経験してどうしなきゃいけないというのは分かっていた。僕はベンチメンバーに入っていなかったし、余計なことは言えなかったですけど、ミラクルを達成して燃え尽き症候群みたいな…。リーグ優勝で満足していたのかもしれない。大丈夫かなって。

 結果、石井一久にやられて1勝4敗。近鉄だけ12球団で日本一になってないんです。1989年は巨人に3連勝しての4連敗。あれってすごく大きな出来事だったでしょう。それも含めて日本一にはなれないのかなって。89年の時は僕が巨人でプロ1年目。加藤哲郎さんが3連勝して「巨人はロッテより弱い」って言ったと報道された。シーズン中の方がきつかったって。相手を怒らすようなことを言うのって失礼だし、何で言うのかなって思ったし、あれで流れが変わりましたから。

 2001年も過信していたわけではないにしろ、日本一になることが目標なのに、リーグ優勝で満足しちゃっているような…。1勝4敗で終わったのも準備不足だったと思います。それも近鉄、これも近鉄なのかな。

 翌2002年、チームは2位で僕の一軍登板は2試合だけ。心身とも万全ではなく、二軍暮らしが長く、もう戦力外かなって感じていました。10月の練習日に藤井寺球場に行って着替えていたら、裏の寮に呼ばれ、球団の人に「6年間、ご苦労さま。来年は契約しない」って、ものの3分くらいですよ。「このあとどうすんの?」「まだやろうと思います」と…。

 近鉄では必要とされなくても、まだ居場所はあるんじゃないかと思い、すぐにロッテのテストを受けてダメ。2週間後にヤクルトのテストを受けても「縁がありません」と…。その間、戦力外通告の選手を取り上げる「ZONE」というテレビ番組が僕を追いかけていました。12球団トライアウトを受けようか、と考えていたら、阪神で投手コーチになられた西本聖さんから電話があったんです。