【石毛博史 火消しは任せろ(15)】近鉄で先発に転向したんですが、リリーフへの思いが残っていた。腹を決めても心のどこかにモヤモヤしたものがあったと思います。そこまで自信が持てずにやっていたのかもしれません。肩、ヒジの状態、スタミナも問題なかったけど、頭の中でショートイニングのイメージが消えない。抑えをやっていたころの輝きが忘れられなくてリリーフの方が力を出せる、と思っていました。

 打たせて取るとか、省エネじゃなく、どの場面でも三振を取りたい。となるとバッテリーとのサインが合わない時も出てきます。そういう自分のメンタルをコーチに相談できるような状況じゃなかった。リリーフ陣は充実していましたからね。一軍で先発を任されてる以上、結果を出さないといけない…。

 パ・リーグってDHがあるので息を抜く時間もないですよ。それが楽しかったところでもありました。対戦相手で一番、意識したのはオリックスのイチロー。抑えようと思わなかったんです。この球種、球速でここに投げたらどう打つか、ここなら対応できないか、とか。自分の状態を確かめられる打者でした。

 初対決はカットボールをインコースに投げて二塁への小フライに打ち取りました。返ってきたボールを見たら松ヤニが付いている。打者がバットにつける松ヤニがボールにまで付いているということは、すごく打球が詰まったという証拠なんです。ここだと思って、2打席目も同じように追い込んで同じところに投げたらセンター前にライナーで持っていかれた。すごい打者と思いました。

 抑えようとするとやられる。以前に空振りしたところがファウルになる、まっすぐのタイミングが合っているとか、自分を試す場面と思って対戦していましたね。彼を打ち取ったら自分の状態はいいということ。他の打者でそんなことしたことはないですよ。打たれても仕方ないので燃える相手というわけではないですね。

 オリックスは他にもニール、D・J、藤井康雄さんとかいい左打者がいたので対戦が楽しみでした。苦手にする右投手もいたと思いますけど、僕は右投げでシュート系の逃げていくボールがない。まっすぐ、カーブ、スライダーと打者に近づいていくボールしかないんで、どう抑えるか、研究して楽しんで投げてました。

 1年目の1997年は13試合に先発して4勝3敗。2年目は8試合と登板機会が減ってチームの力になれませんでした。そんなころ、僕にとって大きな出会いがありました。内野手の吉田剛さんがオフの自主トレでゴルフのジャンボ尾崎さんのトレーニング場に行っていて、僕を誘ってくれたんです。自主トレでどこかまで行くなんてなかったので、即決でした。

 千葉にあるジャンボさんの自宅って研修生が泊まれる寮とトレーニング設備があるんです。