【石毛博史 火消しは任せろ(12)】1996年はリーグ優勝し、日本シリーズはオリックスに敗れました。そしてオフ、トレード話で僕の名前が新聞に出るようになったんです。ずっと巨人にいたかったし、なんで?と思った。確かに自分の投球ができない部分もあったけど、まさかでした。
トレードって水面下でやるもんで、成立してから発表されるもんでしょ。それが僕の場合は“公開トレード”でした。近鉄の石井浩郎さんが契約で難航し、移籍先を探していると…。横浜の三浦大輔、もしくは巨人の石毛が欲しいと近鉄の佐々木恭介監督が言っている(笑い)。それが連日新聞に出てるのに球団から何にも言われないし、何が何だか分からなかったですよ。どうなの?って会う人会う人に聞かれても分からない。契約更改はもう終わっているし…。
不安はありました。もしトレードを受けなかったらどうなるんだろうって。昔、定岡正二さんが近鉄とのトレードを拒否し、まだまだできたのに引退になったんです。そういうのも見てきていたので「断ったら野球をやめなきゃいけない」と思っていたし、一方で近鉄はどんな球団なんだろうって調べていました。
それでも、まさかない、と思っていたら…年明けの1月、宮田征典さん主催のゴルフコンペを群馬でやっていたら、昼に上がってた時にフロントに「球団に電話してください」と言われた。連絡したら編成の人にドーム横の後楽園飯店に呼ばれたんです。
会うと「分かっているとは思うけど…」って(笑い)。「何がですか」「近鉄が石毛を欲しいと言っている」「分かってますけど、受けなかったらどうなるんですか」「それは任意引退の選手になるね」「1日、時間をくれますか」
僕と後輩の吉岡佑弐、近鉄が石井さんの2対1のトレードということでした。その時にはもう近鉄に行こう、と腹をくくっていたんです。でもはいそうですか、とは言いたくなかった。まだ26歳でやめる気もなかったし、野球をやるならどこでもいいや、と。巨人のやり方は嫌だけど、行くことは決めてました。今まで貢献してきた自負もあったし、契約も終わっていたしね。
その後に吉岡も編成に呼ばれ、吉岡は即答しちゃった(笑い)。それがまた新聞に出て「吉岡は即決したのに石毛はゴネてる」みたいな(笑い)。不思議だったのは近鉄には5度も最優秀救援のタイトルをとった守護神の赤堀元之がいるのに何で俺なんだろうって。翌日、恭介さんが東京に来てくれて食事をしました。「石毛には先発をやらせたい。赤堀というストッパーがいるし、くすぶらないためにも先発をやらせてみたい」と言ってくれた。巨人にも了解の返事を伝えました。
巨人を見返そうとかはなかったし、近鉄での野球はすごく楽しかった。いてまえ近鉄、ホント面白かったですよ。
☆いしげ・ひろし 1970年7月13日、千葉県銚子市出身。市銚子高から88年のドラフト外で巨人に入団。92年にリリーフ投手として頭角を現し、52試合で防御率1.32、16セーブ。93年は30セーブで最優秀救援投手を獲得。94年もリーグ最多の19セーブ(タイトルはヤクルト・高津)を挙げて優勝に貢献した。96年オフにトレードで近鉄に移籍。先発、中継ぎとして奮闘し、2001年にミラクル優勝。03年には星野阪神でも優勝を経験した。05年に引退。その後は独立リーグで指導を続け、現在は富山の社会人チーム「IMFバンディッツ」の投手コーチを務める。












