【石毛博史 火消しは任せろ(7)】巨人は伝統ある「紳士球団」なので、世間に「見られている」意識がみんなに強くありました。遠征もスーツで新幹線の中ではスポーツ新聞はよくても週刊誌、漫画を読むのはダメ。もちろんアルコールはダメです。球場入りするのもサンダルやジーンズはダメで、茶髪、ヒゲも禁止です。それが当たり前のことだったので窮屈に思うことはなかったですね。
入団して球団の新人研修で最初に教わったのが、フランス料理の食べ方マナーですからビックリしました(笑い)。外側からフォークを使うとか、スープのカップは奥に倒してすくうとか(笑い)。手前じゃないです。何も知らずにフランス料理に行って、ズーズー音を出して食べるのはよくないということで…。12球団新人研修とは別に巨人だけの研修ですから。僕らは先輩たちの行動を見て動いていたし、みなさんきっちりしていました。
遠征中の門限は午前0時で、マネジャーの点呼があるんです。ナイターが終わって外に食事に出掛けても0時までに帰ってくるのは厳しいですよね。1時間くらいしかなく、点呼までに部屋にいなきゃいけない。写真週刊誌なんかに撮られないように球団が管理し、注意していたんです。
でも遊ぶ人はね。点呼の時に「はい、います!」と返事して、そこから外に出て行く(笑い)。宿舎の調理場とか、勝手口から出掛けて…。伝説となったのは槙原寛己さんですよ。1994年5月18日の福岡ドームの広島戦で完全試合を達成しました。当時は交流戦なんてないし、オープン戦1試合とシーズンの3連戦があるだけで福岡には年2回しか行かない。当然、門限があるわけですが、初日に槙原さんが夜に抜け出して見つかってしまった。
ペナルティーとして外出禁止とか罰金になるんですが、その2日後に槙原さんの先発が決まってたんです。「ここで完封したら許したる」ってマネジャーに言われ、フタを開けたら完全試合ですよ。お前はそんなに外出したかったのかって(笑い)。笑い話になったわけですが、そのくらい博多は楽しかったんですよね。食事もおいしいし、女性が明るくて男性を立ててくれる。今でも12球団の選手でアンケートを取ったら博多の中洲が1番人気なんじゃないですかね。
さすがに門限破って朝まで飲み歩く人はいなかったと思います。巨人戦は毎日テレビで放送されて顔を知られているし、球団が管理していた。食事に出る時も街中を歩くようなことはなかったし、タクシーで直接店の前まで行き、着いたら個室に入ったりして上手に遊んでたんじゃないですかね。他球団からしたら窮屈に思われるかもしれないですが、それがあったからスキャンダルもなかったと思ってますよ
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僕は松井秀喜とも仲がよかった。92年のドラフト1位で入団してきた彼とは寮が一緒で…。
☆いしげ・ひろし 1970年7月13日、千葉県銚子市出身。市銚子高から88年のドラフト外で巨人に入団。92年にリリーフ投手として頭角を現し、52試合で防御率1.32、16セーブ。93年は30セーブで最優秀救援投手を獲得。94年もリーグ最多の19セーブ(タイトルはヤクルト・高津)を挙げて優勝に貢献した。96年オフにトレードで近鉄に移籍。先発、中継ぎとして奮闘し、2001年にミラクル優勝。03年には星野阪神でも優勝を経験した。05年に引退。その後は独立リーグで指導を続け、現在は富山の社会人チーム「IMFバンディッツ」の投手コーチを務める。












