【石毛博史 火消しは任せろ(4)】長嶋茂雄監督にはびっくりさせられたことがありました。1994年の西武との日本シリーズは4勝2敗で巨人が日本一を達成したんですが、長嶋さんは第6戦で終わることを分かっていたんじゃないかと思うんです。
というのも日本シリーズのチケットを選手が家族用とかで早めに買えるんです。長嶋さんはシリーズが始まる前に「第6戦のチケットを買っとけよ。多めに買っとけ」って選手に言うんです。7戦あるのになんでだろう、と最初は謎に思ったら、ホントにそうなった。6戦で終わることが見えていたんでしょう。第6戦で日本一になるぞっていう長嶋さんの言葉による洗脳だったかもしれません。そんな雰囲気をつくっていたんでしょう。
シーズン最終戦の「10・8」の時は出発前の宿舎のミーティングで「勝つ、勝つ、勝つ」と3回言って選手をその気にさせ、日本シリーズでは「第6戦のチケット買っとけ」。それで選手も結構買っていたと思います。僕は買ってなかったですけど、もしかしたら何かあるのかもしれない…とは思いました。不思議な年でしたね。
巨人ってリーグ優勝して日本シリーズをどう戦うか、というミーティングを2月のキャンプでするんです。そのために逆算して今からどういう準備をしなきゃいけないかを考える。優勝前提というか、他の球団にはありませんよね。それが当たり前と思ってやっていました。オープン戦だって勝ち上がるための試合という意識でいたし、みんなのベクトルを同じ方向に向けるためです。
94年に落合博満さんがFA加入したり、チームカラーも少しずつ変わってくる。その中でも同じことを目指さなきゃいけないのが巨人でした。それを重圧と思ったことはなく、僕は宮田征典投手コーチの教え通り「次の日もある」との意識でいました。巨人の目指す野球と僕のリリーフとしての役割が合致していた。負けてチームに迷惑もかけたけど、勝てた試合も多く、やりがいを感じていましたね。
94年も橋本清さんとの「勝利の方程式」で45試合に投げて5勝4敗、19セーブ、防御率3・14と好成績を残せた。それが95年からは西山一宇の台頭もあって役割が変わってきた。僕が投げるべき場面で西山が投げ、悔しい思いがありながらも「チームが勝てばいい」と思っていました。
その年は38試合で4勝3敗、11セーブ、防御率4・07と成績を落としてしまった。実力不足はあっても、まだ若いし、衰えは感じない。他球団に研究されていたんです。それを上回る進化をしなきゃいけないのにできていなかった。調子がいいのに打たれるケースがあるなら球種を増やす、配球の傾向を変えるとか、もっと工夫しないといけなかった。
95年に野村「ID野球」を徹底していたヤクルトから移籍してきた広沢克己さんに言われたことは…。












