【石毛博史 火消しは任せろ(3)】1994年の巨人は中日とマッチレースになり、同率で並んだ10月8日、ナゴヤ球場での直接対決に勝った方が優勝という展開になりました。敵地だったので相手の方が重圧があったと思うし、気持ち的にこっちが有利だったと思います。球場に向かう前、名古屋の宿舎で長嶋茂雄監督がミーティングに出てきて「勝つ、勝つ、勝つ」と3回言ったんです。それで洗脳された。勝てるんだ、ということを伝えたかったんだと思います。言葉の力がすごい。それでみんなが同じ方向を向いた。試合前の練習から雰囲気もよかったし、勝つもんだと思ってましたよ。
試合は槙原寛己さんが先発し、2回途中から斎藤雅樹さん、7回から桑田真澄さんという先発陣の継投で6―3と勝利。僕の出番はありませんでした。もちろん自分も投げて試合にかかわりたいですけど、チームが勝てばいい。斎藤さん、桑田さんと並んでブルペンで投げ、手に汗握る緊張感を感じていました。
チームの勝利が最優先だし、僕が一軍に上がって初めての優勝だったんで、誰が投げてもチームが勝てばいいという気持ちでした。2人を頑張って、という思いで送り出し、桑田さんが行った後もブルペンで肩をつくっていました。何が起きるかわからないので準備はしておかないといけないですから。長嶋さんを胴上げ、ビールかけと、うれしいのひと言ですよ。できることなら前監督の藤田元司さんも胴上げしたかったですね。
日本シリーズも西武相手に4勝2敗で日本一。僕は第3戦に3番手で登板し、延長の末、2―1で勝利投手になりました。1―1の8回から投げ、無死一、三塁のピンチを自分で招き、自分で切り抜けた。四球を出してファンをハラハラさせることで「石毛劇場」と言われましたけど、僕はホームベースを踏まれる前に3アウトを取ればいいというのが野球と思ってるんです。打者との相性もあるし、次の打者のことも見ている。無理に勝負して打たれるより、歩かせて次で勝負という感覚もあった。
堀内恒夫投手コーチにもよく言われたことですが、ホームを踏ませなきゃいい、3点差なら2点まではいい。走者が何人出ようが3アウト取ればお前の勝ちだ、と。手段として際どいところに行った結果、四球になるとピンチを自分でつくっていたように見られていたという…。
だから制球難と言われるのは本意じゃないですよ。コントロールが悪かったら一軍にいられないし、タイトルも取れないし、オールスターも選ばれないですよ。そこは不本意ではありました。そこまでピンポイントでコントロールがいいわけでもないけど、ギリギリの戦いをしていたということです。まあ、しょうがないですけどね…。
その日本シリーズでは長嶋さんのすごさを見せつけられた出来事がありました。












