【石毛博史 火消しは任せろ(11)】長嶋茂雄監督は1993年に2度目の巨人の監督になられました。セットアッパーの橋本清さんと「勝利の方程式」として使ってもらい、93年に最優秀救援投手賞、優勝した94年も最多セーブ(タイトルはヤクルトの高津臣吾)。橋本、石毛が出てきたら「勝ち」というパターンを作り、他球団を洗脳してくれた。長嶋さんのひと言でアドバンテージをつくってもらい、気持ちよく投げれました。
ファンに見せる野球、ファンが望むものをつくり出していく人でした。移動の際の駅は混乱するのでサイン禁止だったんですけど、ベースボールカードに先にサインを書いといて渡そうということになった。サインくださいって来ても「ごめん、今書けないからこれあげるね」ってあらかじめ持っているカードを渡すんです。長嶋さんが来られてファンサービスも変わっていったですよね。
93年の横浜との開幕戦(東京ドーム)のことも忘れられません。それまで開幕戦で投げたことがなかったんです。斎藤雅樹さんが8回まで抑えていて最後に僕がいって、5―2で勝てた。僕もウイニングボールがほしいし、斎藤さんもボールを集めている人。でもここは復帰1勝目の監督に渡そうと思ったんです。ゲームセットになって僕がマウンドから降り、長嶋さんに「ウイニングボールです」と渡したら、受け取った瞬間にスタンドに投げられた(笑い)。
ああ…。俺もほしかったし、斎藤さんに怒られる…。長嶋さんにすれば自分が持っているよりファンが持っていた方がいい、ということ。渡した瞬間ですもん(笑い)。斎藤さんに「すいません。長嶋さんにボールを預けたらすぐ投げちゃいました」って謝ったら「いいんじゃない」って。いつもファンのことを考えておられました。キャンプ中もファンに見せる練習メニューで、よく自分でノックを打ってました。自分が動けば報道陣もファンも動く。それを分かってブルペン、サブ球場と動いていたんじゃないですかね。
僕が火曜から土曜まで5連投していて「日曜は石毛を休まそう」と首脳陣で決めた時があったんです。なのでその日はキャッチボールもやらず、ノースローで試合中はブルペンにいた。でも長嶋さんの中には「石毛を休ませる」から「石毛」だけがインプットされていたんでしょう。7回終わりでベンチとブルペンの投手コーチ同士で「今日は石毛は…」って投げないことを確認していたんです。おそらく長嶋さんも横で俺の名前を聞いていたんでしょう。
そしたら長嶋さんが出て行って、アナウンスは「ピッチャー、石毛」。え~! 今、確認していたばっかりなのに(笑い)。1球も投げずに出て行って何とか抑えました。意外と言い訳できる方が気楽に投げられた。コーチたちも何も言えず、長嶋さんらしいですよ。
そして96年オフ、僕はまさかのトレードで巨人を去ることに…。
☆いしげ・ひろし 1970年7月13日、千葉県銚子市出身。市銚子高から88年のドラフト外で巨人に入団。92年にリリーフ投手として頭角を現し、52試合で防御率1.32、16セーブ。93年は30セーブで最優秀救援投手を獲得。94年もリーグ最多の19セーブ(タイトルはヤクルト・高津)を挙げて優勝に貢献した。96年オフにトレードで近鉄に移籍。先発、中継ぎとして奮闘し、2001年にミラクル優勝。03年には星野阪神でも優勝を経験した。05年に引退。その後は独立リーグで指導を続け、現在は富山の社会人チーム「IMFバンディッツ」の投手コーチを務める。












