【石毛博史 火消しは任せろ(13)】1997年1月に近鉄にトレード移籍が決まり、東京で佐々木恭介監督とお会いした。僕自身、近鉄には赤堀元之という6年で5回もセーブのタイトルを取っている投手がいるのに何で?という思いがありました。それを佐々木さんは「パ・リーグでは先発をさせたい」と背番号「17」を用意してくれている。正直、リリーフをずっとやってきたんで先発をできるかどうか分かりません。自信は今はないけど、経験はしてみたい。せっかく新チームに行くんでその期待には応えたい、と思いました。
自分なりにやってみよう…。毎日投げたかった自分がいる中で先発は週1回しか登板がない。ジレンマもあったし、不安も多々ありました。今思えば、近鉄はすごくざっくばらんで結果を出していれば何しててもいいような、自由なチームだったんでやりがいがあった。セ・リーグでは経験できなかったような、伸び伸びと自分の思う通りにできるチームだなって。振り返るとすごく思いますよね。
当時は近鉄をテレビで見なかったし、有名な選手は知っていても、知らない選手も多くて…。同じプロ野球なのにこういう世界もあるのかって。関西の環境にも慣れないといけないし、野球以外でも不安はありましたが、歓迎してもらえたと思います。横のつながりがすごく強くてすぐに溶け込めた。巨人にいたことで僕の方がヨソ行きになっていたかもしれません。小林繁投手コーチも声をかけてくれ、僕より先に巨人から移籍してきていた香田勲男さんが住む場所とか、いろいろお世話になりました
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同級生の守護神・赤堀も実際に投げているボールを見たらさすがでした。メンタルも強くてあっけらかんとしている。勝っても負けても表情を変えないのは僕と似ていたし、私生活ではすごくやさしい。リリーフ陣もみんな仲良くて、遠征に行ったらみんなで食事に行ってました。こういうのもいいなあって(笑い)。巨人時代は規律があって、球団からも管理され、マスコミの目もありました。そういうのはなくなったけど、僕自身は近鉄だからといって気持ちは同じですよ。やっぱ体も大きいから目立つし、どこで誰に見られているか分からないですから、言動、服装、行動は巨人時代と同じく、気をつけていました。
一番ビックリしたのは、サイパンでの春季キャンプの荷物出しをする日、選手専用のトラックにみんなキャディーバッグを入れているんです。巨人時代じゃ考えられない。休日にゴルフをやるにしても個人で宿舎に送りますよ。それを野球道具と一緒に当たり前のように詰め込んでいるのを見て、え~!と(笑い)。カルチャーショックでした。
野球に関しては解放感というか、優勝を目指してやってはいても、巨人みたいに切羽詰まってる感じはなかったですね。
☆いしげ・ひろし 1970年7月13日、千葉県銚子市出身。市銚子高から88年のドラフト外で巨人に入団。92年にリリーフ投手として頭角を現し、52試合で防御率1.32、16セーブ。93年は30セーブで最優秀救援投手を獲得。94年もリーグ最多の19セーブ(タイトルはヤクルト・高津)を挙げて優勝に貢献した。96年オフにトレードで近鉄に移籍。先発、中継ぎとして奮闘し、2001年にミラクル優勝。03年には星野阪神でも優勝を経験した。05年に引退。その後は独立リーグで指導を続け、現在は富山の社会人チーム「IMFバンディッツ」の投手コーチを務める。












