【石毛博史コラム 火消しは任せろ(17)】2000年は梨田昌孝さんが新監督になられた。捕手出身なのでバッテリーに厳しく、試合をつくるのも流れをつくるのもバッテリー。しっかりしなきゃダメなんだということを直接言ってもらった監督でした。打者の反応を見て思惑じゃないような球種を投げたり、カウントの取り方とか…。チョイスしたボールがこうだったとか、細かい部分を話してくれる。試合中でも次の回の打者はこうしたらどうだとか、無理して勝負しなくていいとか…。イニングが終わると捕手とベンチに座って反省もよくやってました。
褒められることも注意されることもありますが、担当コーチを介すとニュアンスが変わるので直接はいいな、と思っていましたよ。いつもニコニコしてて優しそうに見えるけど怒ったら怖いというタイプの方で、ミーティングにも入っておられました。
ヤクルトにいた伊勢孝夫ヘッドコーチからID野球も取り入れていました。カウント別の球種のつくり方、投手の傾向を出さないようなカウントの取り方をする。投手心理で落ちるボールになる傾向とか、スチールに注意するカウントなどを教えてくれます。伊勢さんの存在は大きかったですし、小林繁投手コーチも同じ考え方でした。
でも、もちろん当時の近鉄は「いてまえ」です(笑い)。データなんか関係あるかい、もありつつ、IDもありつつ…。IDに全振りしていたらもっと強かったかもしれない。それがいい均衡だったのが01年だったと思うんです。あの年は防御率がリーグ最低なのに7回以降の逆転がすごかった。
9月26日は二軍にいたんです。「優勝の可能性があるから」と大阪ドームに呼ばれ、普通に私服でロッカーで試合を見てたんです。二軍でもその年に一軍の試合に出た選手がみんなでね。8回まで2―5だったので「今日はないかあ」って思っていたら、9回、先頭打者の吉岡雄二がヒットで出塁。続く川口憲史が二塁打を打って無死二、三塁になった時に「これはもしかしたらある!」と思った。
打順を見て「代打ペー(北川博敏)があるぞ!」とみんな言ってて、それで急いでユニホームに着替えてベンチ裏に行ったら、無死満塁で代打ペーになってたんです。3点負けてるのに胴上げの準備をしてた(笑い)。1年間、ずっと逆転逆転で来ていたのでそんな空気ができていたんです。打った瞬間は鳥肌でした。漫画みたいな思ったような展開になった。ホームラン打つと思っていたし、不思議な感覚ですよ。その日に一軍ではなかったけど、1年間みんなで頑張ってきた仲間。横のつながりがすごく強いチームだったですね。
2年連続最下位のチームがペーの代打逆転満塁サヨナラ本塁打でミラクル優勝。でも2週間前、アメリカのワールドトレードセンターで9・11のテロが起き、その影響で…。












