【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(12)】2003年オフ、既に西武ライオンズという一球団の枠を超え、日本を代表する遊撃手となっていた松井稼頭央は、同年8月に取得した海外FA権を行使して米大リーグへと羽ばたきました。当時の報道によると、メッツとの契約は3年総額2010万ドルプラス出来高払い。当時のレートで約21億7000万円という大型契約でした。

 3年目の1996年に初出場した日米野球で18打数10安打、5盗塁と大暴れしてからメジャーのスカウトが注目する存在となり、入団からの10年間で通算1159試合に出場して4638打数1433安打(打率3割9厘)、150本塁打、569打点、306盗塁。キリがないのでタイトルや各種表彰などは割愛しますが、満を持してのメジャー挑戦でした。

 正直なところ、1年目からそばで支えたいという気持ちはありました。前回紹介させていただいたように、二軍の用具係兼サブマネジャーという立場ながら、個人的に稼頭央の打撃を見守り続けてきましたからね。再びタッグを組むようになったのは05年オフで、最初の2年間は遠く日本から応援することになりました。

 既にヤンキースの一員として活躍していた松井秀喜と同姓であることから「リトル・マツイ」として注目されていた稼頭央は1年目の04年に華々しいデビューを飾りました。オープン戦では打率1割9分2厘と不調だったのに、ブレーブスとの開幕戦に「1番・遊撃」で先発出場し、新人ではメジャー初となる開幕戦先頭打者初球アーチ。しかも相手投手は前年21勝でナ・リーグの最多勝に輝いたラス・オルティスでした。

 その後も5月のダイヤモンドバックス戦で通算303勝のレジェンド左腕ランディ・ジョンソンから本塁打を放つなど話題に事欠きませんでしたが、7月末に二塁のベースカバーに入った際に激しいスライディングを受けて左スネを負傷。8月には腰痛を患い、故障者リスト(DL、現在の負傷者リスト)入り。1か月半ほど試合に出られない日々を過ごすことになりました。

 2年目も開幕戦で第1打席に本塁打するなどスタートは上々でしたが、やはり6月に二塁上の交錯プレーが原因でDL入り。ニューヨークはメディアもファンも見る目が厳しく、期待値の高かった選手ほど激しくバッシングされます。

 そんな折でした。あれは忘れもしない6月末。ナイター開催の楽天との二軍戦に備えて仙台市内のチーム宿舎で過ごしていると、米国でリハビリ中の稼頭央からSOSの連絡がきたのです。

☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。