【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(7)】プロ3年目、満足な結果を残せず、バンターや走者ばかり“やらされる練習”に嫌気が差していた僕に貴重なヒントを与えてくださったのが、現在は監督として西武ライオンズを率いる辻発彦さんでした。
腰痛で一軍登録を外れた辻さんとヒジ痛で別メニュー調整になっていた僕が一緒に練習していた時のことです。ティー打撃をしていると、辻さんが不思議そうな顔をして「何やってんだ」とポツリ。それからおもむろにリストターン、つまり打撃時の手首の使い方などについてレクチャーしてくれたのです。
バリバリのレギュラーとして西武の第2次黄金期を支え、1993年には首位打者と最高出塁率のタイトルを獲得していた辻さんからみれば、基礎ができていない僕の打撃は不思議だったのかもしれません。しかし、高校野球の弊害ともいえる“金属バット打ち”が治らず、フラストレーションを感じていた僕にとっては目の覚めるようなアドバイスの数々でした。
木製バットで初めて味わう「芯を食う」「ヘッドが利く」という感覚。先っぽに当たれば詰まるということすら新鮮に思えたほどです。辻さんとは内野と外野でポジションも異なりますが、ゴロへの入り方や捕り方といった守備の基本も教えていただきました。
もちろん二軍首脳陣が何も教えてくれなかったわけではありません。僕は左投げ左打ちながら利き足は右という特殊なタイプで、小学6年生までは右打ちでした。スイッチヒッターになっておけば良かったのかもしれませんが、なかなかマッチするアドバイスに出会えなかったという側面もあったかと思います。
右投げ右打ち、右投げ左打ち、左投げ左打ち、左投げ右打ち、さらには利き足の左右が違えば、同じ打撃指導をされても受け取り方は微妙に異なります。例えば「ボールを前でさばく」といっても、教える側と教わる側で「前」が同じポイントだとは限りません。結果的にいろんな人の意見を聞きすぎて打撃が分からなくなることは、プロの世界でも珍しくないのです。
技術とともに、プロ野球選手にとって大切な基礎体力づくりという点では、合同自主トレを通じて佐々木誠さんから多くを学びました。ダイエー時代の92年に首位打者、最多安打、盗塁王に輝いただけでなく、西武移籍後も含めてベストナインに6回、ゴールデン・グラブ賞に4回選ばれ、秋山幸二さんとともに「メジャーに近い男」と称された方ですが、練習量はハンパないものでした。
1月上旬に沖縄で1週間から10日間ほど行う誠さんの自主トレはゴルフも含めた“お遊び”どころか、報道陣向けの“絵づくり”も一切なし。午前9時から砂浜を走り、テニスやウエートトレなどの強化メニューを夕方までして、夜はプールで水泳トレ。のちに松井稼頭央と行うようになった自主トレでも、ベースとなったのは佐々木誠流でした。
☆くまざわ・とおる 現姓は中村。1973年9月7日生まれ。埼玉県出身。所沢商高から91年ドラフト3位で西武入団。一軍出場はなく98年に引退。二軍用具係兼サブマネジャーとして球団に残り、2005年オフから松井稼頭央(当時メッツ)の個人トレーナーとして渡米。08年に一軍打撃コーチ補佐として西武に復帰し、日本一に貢献。二軍打撃コーチ、二軍守備走塁コーチを経て11年に一軍打撃コーチ補佐を務める。11年退団。現在は埼玉・入間市で整骨院を営むかたわら、小中学生を対象とした野球塾を運営している。












