【熊澤とおる 人生100年時代のセカンドキャリア(10)】 学生時代には勉強をするのが嫌いだったのに、大人になってから向学心が旺盛になった…という話をよく聞きます。詰め込む学習では頭に入ってこなかったことが、興味を持って学ぶと苦でないどころか楽しかったりしますよね。現役引退後の僕が、まさにそんなタイプでした。両親とも教育者だったこともあり、もともと勉強嫌いだったわけではありません。小学校や中学校で音楽を教えていた母親の勧めで4歳から始めたピアノも、中学2年生まで習い続けていたぐらいです。
現役生活は一軍出場なしのまま幕を閉じてしまいましたが、ユニホームを脱いだことでフラットな気持ちで野球と向き合うようになったのでしょう。もうプレーすることはないのに、運動動作やPNFなどのトレーニング法について、現在も西武でメディカルコンディショニング統括としてご活躍の米田進さんにいろいろと教わりながら独学で勉強し始めたのも引退してからでした。
前回紹介した英会話学習にしてもそう。用具係兼サブマネジャーとしての仕事に直接関係するわけではありませんが、勉強して分からなかったことが分かるようになるのは楽しいことです。好きでやっているから吸収は早いし、寝る間も惜しんで専門書を読み込むような生活に充実感を感じていました。いずれも必要に迫られて取り組んだことではありませんでしたが、結果として役に立ちました。その機会を与えてくれたのが、2歳下のスーパースター、松井稼頭央です。
彼の入団1年目、1994年2月に高知・春野で行われた春季二軍キャンプで同部屋になってからの付き合いで、オフの自主トレを一緒に行ったりもしましたが、シーズンが始まってしまえば基本的には別行動。稼頭央は2年目に頭角を現し、3年目にはレギュラーとして一軍に定着しましたからね。僕も引退するまでは自分のことで精いっぱいでしたし…。野球、特に打撃のことで頼られるようになったのは僕がユニホームを脱いだ98年以降です。
稼頭央は96年からメッツ移籍前の2003年まで8年連続全試合出場を果たし、97年から3年連続盗塁王に輝き、99年と02年には最多安打のタイトルを獲得。98年にパ・リーグのMVPに選出されただけでなく、02年には打率3割3分2厘、36本塁打、33盗塁でスイッチヒッターではプロ野球初となるトリプルスリーも達成しました。
インターネットなどで彼の年度別打撃成績を見ていただければ一目瞭然ですが、2年目以降の飛躍には目を見張るものがあります。しかし、どんな一流選手でもシーズンの長丁場では調子を落としたり、フォームやタイミングに誤差が生じてしまうものです。そんな時に「なんでやろ」と電話をしてくるのが稼頭央でした。












