【ニューヨーク発】〝格闘技の聖地〟マジソンスクエア・ガーデンで開催されたWWE・ロウは、〝小さな巨人〟レイ・ミステリオのWWEデビュー20周年として行われた。

 2002年にWWE入りし、同年7月25日にスマックダウンでデビュー。小兵ながら驚異の空中殺法を武器に、巨漢がひしめくWWEマットでトップを張ってきた。〝小さな巨人〟のWWEデビュー20周年となった今週のロウでは、ジョン・シナ、ランディ・オートン、カート・アングル、JBL、現在はハリウッドで活躍するバティスタらレジェンドがコメントを寄せ、その功績をたたえた。

 会場の大声援の中、息子のドミニク・ミステリオとともにリングに立ったミステリオは「20周年は特別だ。最初の試合は14歳だった。世界を旅して稼いで、皆が楽しめるようにレジェンドたちと戦ってきた」と過去を振り返った。さらにディーン・マレンコ、バティスタ、カート、エッジ、故エディ・ゲレロさんの名前を挙げると「みんなの20年間の愛とサポートに感謝している」とWWEユニバースに伝え、「みんな愛しているぞ。本当にありがとう」と締めくくった。
 
 そこから親子で〝闇落ち軍〟ジャッジメント・デイのフィン・ベイラー&ダミアン・プリーストとのタッグ戦で対戦。ミステリオがフロッグスプラッシュでベイラーから3カウントを奪い勝利した。だが試合後に闇落ち軍に襲われ、「サマースラム」(30日=日本時間31日、テネシー州ナッシュビル)で、ミステリオ親子VSベイラー&プリーストのノーDQタッグ戦が決定した。

 大ベテランの域に入っても衰えない闘争心をみせるが、プロレス人生の大きな転機となったのはやはりエディ・ゲレロさんの急死だろう。エディさんをメキシコ時代から兄のように慕っており、WWEマットでも時にはタッグパートナーとして、時にはライバルとして切磋琢磨してきた。幼いドミニクを巡る抗争もあったが、エディさんは05年11月に宿泊先で急死。エディさんの追悼大会でミステリオは、マスク越しに涙で顔をくしゃくしゃにしながら嘆き悲しんだ。

 だが、兄貴分の突然の死がミステリオを奮起させる。エディさんが亡くなる前に、関係者に語っていた目標は「もう一度、WWE王者になる」ことだった。兄貴分の遺志を継いだミステリオは、エディさんの頭文字「EG」を記したバンドを腕に巻き、翌06年1月の時間差入場バトルロイヤル「ロイヤルランブル」で、60分以上戦い抜き劇的な優勝。同年4月の祭典「レッスルマニア22」では王者カート、オートンとの壮絶なトリプルスレット王座戦を制し、見事に世界ヘビー級王座を奪取。ベルトを天国のエディさんにささげた。

 この日のロウのリングでも、ミステリオは涙で声を詰まらせながらエディさんへの思いをこう語った。

「エディ、愛しているよ。君を失ってずっと悲しい。君はここにいないけれど、いつも俺を見守ってくれているね。ありがとう、エディ」
 
 覆面の下にエディさん譲りの闘争心と涙を隠し持ったミステリオは、プロレス界唯一無二の存在であり続ける。