プロレス界のレジェンドで元NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアさんが4日、85歳で死去しマット界には悲しみが広がっている。弟・テリーさん(故人)との伝説のタッグ「ザ・ファンクス」として1970~80年代に大旋風を巻き起こしたレジェンドは、日本のプロレス界とファンの心に何を残したのか。当時を知る全日本プロレスの名誉レフェリー・和田京平氏(71)が胸の内を明かした。

 取材に応じた和田氏は訃報に際し「寂しいのは寂しいけど、いずれこうなるのは仕方のないことだよ」とポツリ。父、ドリー・ファンク・シニアさん、弟のテリーさんに続く別れに「〝全日本の宝〟のファンクスファミリーがみんないなくなっちゃったよね…」と胸の内を明かした。

世界最強タッグ2度目の優勝を飾ったファンクス(1977年)
世界最強タッグ2度目の優勝を飾ったファンクス(1977年)

 一世を風靡した「ザ・ファンクス」の活躍を眼前で見てきた和田氏は「テリーのプロレスとドリーのプロレスは全く真逆なんだよ。だから面白かった。テリーが攻めて、ドリーが守る。そういった面でいくと、テクニシャンだったのはドリーだったね」と振り返る。裁いた中で最も印象深い試合として、1975年12月のホースト・ホフマン戦を挙げた上で「今はドリーみたいなプロレスをするレスラーっていなくなっちゃったよね。〝最後の砦〟が亡くなって寂しさはあるけど、試合を裁けたのはレフェリー・和田京平として名誉だったね」と胸を張った。

 リングでは無類の強さを誇る一方、性格は「日本人より日本人らしい」と形容するほど穏やかだった。「どっちかっていうとリングの外のドリーの方が意外に好きだったかな。あっけらかんというか、のほほんとしてて…」と思いをはせる。「入場もゆっくり来るもんだから、リングに着くまでに入場曲の『スピニング・トー・ホールド』が2周しちゃう。今は黒潮(TOKYOジャパン)が入場曲を長くかけて入ってくるけど、そのはしりだったね」と笑った。

 さらには巡業先でも、その性格はいかんなく発揮され「ホテルをチェックアウトしてバスが出るまでに、最後に出てくるのはドリー」とらしいエピソードを披露。さらには荷物も若手に任せて出てきてしまうため「1回や2回じゃないから(ジャイアント)馬場さんはよく怒ってたよ。ドリーはいつまでも朝ご飯を食べてる。和食が好きで納豆とみそ汁が大好物だったね」と懐かしんだ。

 どれほど時代を彩ったスターも、いつかは別れの時が来る。「PWFの会長もやってくれていたし、お疲れさまだね。空の向こうで馬場さんとまた戦ってほしいなと思いますよ。テリーもいる、ジャンボ(鶴田)もいる。あっちの世界でもプロレスを続けていてほしいね」と惜別のメッセージを送っていた。