【長嶋清幸 ゼロの勝負師(24)】1994年からは阪神でプレーすることになった。同じ外野手には新庄剛志がいた。向こうは阪神を背負って立つ中心選手で、こっちはボチボチ…っていう選手だったんで楽しくやっていた。

 新庄は面白くて憎めないやつでね。話し方もやさしいし、何かやっても「あいつならいいか」みたいな。野球に関しては「かっこ悪いことを見せたくない」という考え。状態が悪くなると練習も一生懸命だし、周りのみんなに「新庄が打てるように」みたいな期待があった。

 強肩はすごいんだけど補殺率は…。それプラス二塁走者を生還させないとか、その辺の確実性がどうだったのか、とは思う。「1点もやれない場面で、なんで定位置で守るの?」と聞いたら「いや、ファンは僕の肩を見に来ていますから」と、強肩でお客さんを喜ばせることを考えている。それもプロ意識だし、一理ある。それでアウトにすれば万々歳なんだけど、もしセーフにしたらチームに多大な迷惑をかけることになる。面白いやつ、憎めないやつって思うのはそういうところだね。

 そんな新庄も95年のシーズン途中に中村勝広監督に代わって指揮を執った藤田平さんとはウマが合わなかった。中日の高木守道さん的なところがあって保守派。普通なら新庄みたいな人気選手なら「まあ、しょうがないか」ってなるのに、そんなの関係ない。新庄でも他の選手でも同じだ、という考え方。ある意味すごいよ。藤田さんはあまりあいさつしてくれなくて「自分はこうだ」というのを見せたがらないような…。声が小さくて何を言っているのか分からない。聞き返したら失礼だし、気を使ったね。

 そのころの阪神は低迷が続き、暗黒時代と言われた。若い選手もたくさん出てきていたけど、俺なんか見ていて思うのは、チヤホヤされてやるべきことをやっていない。自分の体をいじめていない。目に見える特打とか守備練習だけじゃなく、それ以上のことを俺らは嫌というほどやってきた。だからシーズンを戦う体力と精神力がついた。

 俺は石嶺和彦さんと5月、6月ごろになるとアメリカンノックをやってもらっていた。ライトからレフトまで走って捕球するのを5往復繰り返していたら、若い選手が「何してるんですか?」って不思議な顔をしていた。彼らは自分の打撃が調子いいとか悪いとか言うけど、違うだろって。まだそこまでの体力がついてないだろって。キャンプでついた体力なんて4月で終わる。俺らみたいな出番が少ない選手なら、毎日試合に出るくらいのつもりで動かないとダメなんだ。そういう話を浜中おさむとか若い選手にしていたよ。

 二軍でも手を抜いたことはなかった。俺らが手を抜いていたら絶対チームがダメになる。俺らの背中を見て何か感じてくれたらと思っていた。自分の引き際に、どれだけ自分の財産を落としていけるかと…。

 ☆ながしま・きよゆき 1961年11月12日、静岡県浜岡町(現御前崎市)出身。静岡県自動車工業高から79年ドラフト外で広島入団。83年に背番号0をつけて外野のレギュラーに定着し、ダイヤモンドグラブ賞を受賞。84年9月15、16日の巨人戦では2戦連続のサヨナラ本塁打を放って優勝に貢献し、阪急との日本シリーズでは3本塁打、10打点の活躍でMVPに輝く。91年に中日にトレード移籍。93年にロッテ、94年から阪神でプレーし、97年に引退。その後は阪神、中日、三星(韓国)、ロッテでコーチを続けた。2020年に愛知のカレー店「元祖台湾カレー」のオーナーとなる。