西武・若林楽人外野手(23)が慎重に2年目のリベンジを模索している。

 ルーキーイヤーだった今季、若林は44試合に出場し5月までにダントツの20盗塁をマークしながら、5月30日の阪神戦(メットライフ)の守備時に左膝前十字靱帯(じんたい)を損傷し、手術。残るシーズンを棒に振り、最終的に4差で盗塁王のタイトルは同僚・源田、ロッテ・荻野ら4選手が分け合う結果となった。

 手負いの韋駄天ルーキーは「可能性があったので(タイトルは)やっぱり取りたかった」と言いながら「ケガをした時に自分では(運命だと)思っていた。あれだけ毎日全力でやりながら、人よりも多く走っていれば負担は多いと思うし、自分でどうにかできる問題ではなかった。スケジュールとかの後先も1年目であまり見えない部分があった」と起きるべくして起きた事故と今は受け入れている。

 11年前の2010年シーズン、同じように開幕から快足を武器に46試合で25盗塁を稼いでいたロッテの韋駄天ルーキー・荻野貴司外野手も、5月の交流戦中に右膝外側半月板を損傷。同月中に半月板の部分切除手術を受けたが、シーズン中の復帰はかなわず、その後、19年に初の規定打席到達を果たすまでは故障とリハビリに苦しむプロ野球人生を歩むことになった。

 荻野に近い関係者は「若林君も故障前の理想に戻るのではなく、同じ体にはもう戻れないことを前提に新たな武器、選手像を作り上げていった方がいいかもしれない。一度大きなケガをすると、気持ちはそうでなくても体がどうしてもそこをかばってしまう。貴司もその境地に至るまでに時間がかかっている。その経験を彼に伝えるとすれば、まずケガをしない体作りを優先させて、今ある状態の中での武器を磨いて行く方が未来は開ける」とエールを送っている。

 ケガをして「自分の弱い部分をまず知ること。自分の体をもっと知ってその日の準備をもっともっとすることが大事かなと思う」という〝幻の盗塁王〟若林に、プロ12年目で初の盗塁王に輝いた同型・荻野の経験は絶妙にシンクロしている。