平成10年の巨人・原コーチ“貝化”事件 就任直後の衝撃発言にカミナリ「何もしゃべれないよ…」

2020年04月07日 11時00分

1998年、球団事務所の前で取材対応するコーチ時代の原監督

【球界平成裏面史】かつて平成のプロ野球は熱く、激しく、面白かった! 新型コロナウイルスの感染拡大でプロ野球が休業に追い込まれている今こそ、震災や台風にも屈しなかった平成の戦いとドラマを思い出そう。プロ野球復活へ願いを込めたこの新連載、まずは本紙好評連載「赤ペン!!」でおなじみの赤坂英一氏が登場。平成10年(1998年)に指導者としてスタートを切った巨人・原辰徳監督(61)にまつわるエピソードを明かす。

 巨人が活動を休止する前、3月31日に行われる予定だったファーム練習試合のヤクルト戦で、原監督は元木ヘッドコーチに指揮を執らせるプランを披露した。また、阿部二軍監督には発言に注意するようアドバイスしたことも東スポの独占インタビュー記事(3月17日発行)で明かしている。

 原監督もいよいよ後進の指導者の育成に本腰を入れ始めたな。そういう感慨を抱いたのは私だけではないだろう。元木ヘッドや阿部二軍監督に対する助言の裏には、原監督自身が野手総合コーチに就任した平成10年秋、自分の言動が思わぬ波紋を広げた経験がある。

 当時、神田錦町のビルにあった球団事務所で行われた会見で、「来年の巨人はどうなりますか」と聞かれた原コーチは、当然のようにこう答えたのだ。

「優勝は、必ずします。来年は必ずします。私の中ではむしろ2位以下をどれだけ引き離して勝つかと、そう思ってます」

 このとき、私も含めた約50人の報道陣はどよめいた。他球団にも大きな反響を呼び、広島・達川監督は驚きをあらわにしてこう語っている。

「原も言うたのう。必ず優勝する、じゃけんの。いくらワシでも、必ずとまではよう言わんで」

 当時の原発言が広げた波紋は、最近の阿部二軍監督の「期待できる若手はいない」発言の比ではなかった。私が原コーチに発言の真意を聞くと、「最初からビビってらんねえだろ。必ず勝つ気でいかなくちゃあ」と目を見開いて強調。その後で「ただ、もう言わないけどね。監督じゃないんだから」と付け加えた。

 しかし、この次の発言は球団に問題視された。巨人入団の決まった上原が「メジャーへ行く夢は諦めてません」と表明。原コーチが「いいんじゃない、こっちで2~3年経験を積んで行けば」とマスコミにコメントしたことが、当時の球団代表の怒りを買ったのだ。

 巨人OBでもある倉田運営部長に「軽はずみな発言をするな。高い金をかけて獲った選手なんだから」と注意され、これがまた面白おかしく報じられてしまう。すると原コーチは担当記者たちに「何もしゃべれないよ」と“貝”になることを宣言。取材は球団広報を通じての筆談で行われ、これが約1週間続いた。

 この騒ぎがトラウマになったのか、原コーチはその後めっきり口が重くなった。平成11年からヘッドコーチに昇格したが、何を聞いても「質問は(投手、打撃などの)担当コーチにして」とはぐらかされた。

 ヘッドとしての発信力は、現在の元木ヘッドの方が上かもしれない。先月も、オープン戦最下位について聞かれると、「周りが騒ぎ過ぎだよ。今年は開幕するまで1か月以上もあるんだから。まだキャンプ中と思えばいいんだ」と発言。これなど、昔の原ヘッドには言えないセリフだろう。

 原ヘッドは平成13年、ようやく念願かなって長嶋監督の後を継ぎ、巨人監督の座に上り詰める。だが、1年目に日本一となりながらわずか2年で巨人から出て行き、またもや我々をあぜんとさせた。

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