プロ野球で歴代最多の400勝をマークし、ロッテで監督も務めた金田正一氏が6日午前4時38分、急性胆管炎による敗血症のため東京都内の病院で死去した。86歳だった。現役時代「史上最高の投手」と呼ばれた輝かしい実績もさることながら、歯に衣着せぬ言動でも知られた熱血漢。監督としても愛情あふれる指導で選手を育て、その人柄は多くの人に慕われた。そんな「オヤジ」の訃報に接し、本紙評論家でロッテOBの得津高宏氏、前田幸長氏らが故人をしのんだ。

 金田氏は今年も球場に元気な姿を見せていた。6月の交流戦では東京ドームで行われた巨人―ロッテ戦に来場。夏前に心筋梗塞の症状が出て入院することになったが、無事に退院しており、その後に再び体調を崩してしまったという。

 昨年までは野球教室にも参加。集まった少年少女たちを前に、誰よりも大きな声で「おはよう!」とあいさつするのが金田氏だった。健康食品のCMなどでも元気な笑顔を見せているように、体には人一倍気を使っていた。それだけに突然の訃報には大きな衝撃が広がっている。

 金田氏が最初にロッテ監督を務めた1973年当時、教え子だった本紙評論家の得津氏は「金田さんは私の“育ての親”でした。とにかく厳しい人で、猛練習に明け暮れたキャンプの日々はまさに地獄。ただ、あの練習を乗り越えられたおかげで74年は日本一になれましたし、私もレギュラーになれて、3番も打たせてもらった」。

 とはいえ「厳しいといっても、選手には絶対に手を上げない人でした。『プロ野球選手は体が資本だ』と、日替わりでステーキを出してくれたりと、食事のメニューを12球団で一番豪華なものにしてくれたのも、いい思い出です」。

 また、金田氏が2度目のロッテ監督に就任した90年「オレがこいつをパ・リーグのエースにする!」と、かわいがったのが高卒2年目のドラフト1位左腕・前田氏だ。

「金田さんには『おい、ボウズ』とずっと呼ばれています。つい先日も私の息子が高校球児だったのを聞いて『ボウズのボウズは甲子園に行ったのか?』と気にかけてくれました。監督時代で印象に残っているのは、川崎球場のダイエー戦に投げているとき、ベンチから『ぶつけろ!』と大声で指示されたことですね。相手は佐々木誠さんでした。乱闘で相手の選手や審判を蹴っ飛ばしたりもしてましたが、自分のチームの選手には優しい人で、試合でノックアウトされても『とにかく走っとけ』で終わり。最近もウチの家族を食事に誘ってくれたりと本当にお世話になりました」

 オーバーアクションとともに知られる数々の“カネやん伝説”も、とにかく自軍の選手を守るため。前田氏だけではなく、多くの選手たちに愛情を注ぎ、乱闘ともなれば真っ先にベンチを飛び出した。

 また、キャンプなどに芸能人を積極的に招いたこともあったが、それも選手のため。単に話題づくりが目的ではなく、招いた芸能人に「選手に使いたいからカネを置いていってくれないか」とカネを出させ、それを選手に還元していたという。「絶対に自分のポケットには入れない。それがオヤジのやり方でした」(得津氏)

 家族のようなチームを作り、古巣を見守り続けてきた金田氏。巨人OBとしても時に“ご意見番”として厳しい意見を口にしたこともあったが、それも古巣への愛があってこそ…。球界は大きなカリスマを失った。