プロ野球歴代最多の通算3085安打を放ち、「安打製造機」の異名を取り「球界のご意見番」としても人気を集めた張本勲さんが9日、東京都内の病院で死去した。86歳だった。同日、日本プロ野球選手会が発表した。同じ広島県出身で、1976年に巨人へトレード移籍した〝同期〟でもある本紙専属評論家・伊原春樹氏が、大先輩を悼んだ。
同じ広島県出身とはいえ、張本さんは雲の上の存在だった。それでも東映―西鉄戦で対戦した際、「広島のどこじゃ?」と西鉄若手の自分に声をかけてくれた。私が「上下町(現府中市)です」と言うと、「ずいぶん山の中だな」と笑っていた姿を思い出す。
1976年、巨人にトレードという形で同じ年に移籍した。当時の長嶋監督が歓迎会を開き、巨人レギュラーと新人・移籍組を田園調布の自宅に招待してくれた。その時、一緒にうかがったが、さすがは張本さんだった。すでに仲の良かった王さんと鍋をつついていた。
その張本さんが「キツい」と音を上げたのが、巨人の合同自主トレだった。当時の巨人は走り込みの量が半端なかった。多摩川のグラウンドをベテラン、若手関係なくひたすら走らされ、張本さんも相当へばっていた。
だが、同じ年の王さんが必死に走る姿にかなり刺激を受けた様子で、張本さんも一切、手を抜かなかった。打撃練習中も王さんと張り合ったおかげで再び打棒が復活し、3085安打につながったと話していた。右手にハンディがあったが、本当に努力を惜しまない人だった。
忘れられないのが、巨人1年目のキャンプ中の選手会会合だ。一、二軍を含めた全選手を集めた話し合いで、一軍と二軍での優勝報奨金の差が話題となった。当時、二軍選手が一軍の試合前練習で打撃投手などに駆り出されていたのに、報奨金はゼロだった。私が「二軍選手にも払ってほしい」と意見すると、当時の一軍選手からヤジが飛んだ。その時、張本さんが「最後まで話を聞けッ!」と一喝してくれた。結局、二軍選手に報奨金は出なかったものの、助け舟はありがたかった。
私がオリックスの監督を辞め、評論家をしていた2006年8月に、張本さんから突然、電話がかかってきた。「韓国球団の監督をやってみないか?」というオファーだった。KBOコミッショナー特別補佐官をされていた張本さんからのありがたいお話だったが、「考えさせてください」と熟考している最中に、当時の巨人・原監督から野手総合コーチの話が来た。張本さんに事情を話すと、「巨人のコーチの方がいいだろう」と快く後押ししてくれたのは、心強かった。
私個人としては坂本勇人(巨人)に期待をしていたが、張本さんの通算安打記録が破られることはしばらくないだろう。大先輩のご冥福を心よりお祈りいたします。
(本紙専属評論家)














