【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】自分のキャリアがどん底にある時、人はどんな過ごし方をするものだろうか。コール・アービンのように、住んでまだ数か月の外国で言葉も話せぬまま、子供たちに手を差し伸べることができるだろうか。

 WBCがあったためかひと昔前に感じてしまうが、1か月ほど前のドジャースのスプリングトレーニング施設。20年近く取材していて初めて見るほど米メディアの番記者が増えた状況は、今のドジャースの注目度の高さを物語るが、おかげでキャンプイン直後の現場はいつにも増してごった返していた。

 選手がなかなか捕まらないのは変わらない中、丁寧な物腰で向き合ってくれたニューフェースのコールに、話しやすい話題をと思って「去年の韓国はどうだった?」と聞いてみた。これがいろいろな意味で目が覚める会話の始まりとなった。

「最悪な1年だったよ」。そう切り出したコールにドキッとしたが、とてもオープンな性格らしく「キャリアにおいては、ね。そこを恥ずかしがっても仕方ない。でも、ゲームの運び方やファンたちと過ごした時間は、とてもユニークでかけがえのないものだったよ」と続けた。

 そもそも韓国リーグ(KBO)行きを決めたのは、大学時代の友人でアジア担当の国際スカウトが言った「君はきっと韓国が好きになる。もしプレーするチャンスがあったら、考えてみろ」というひと言だった。

 多くの先発投手が目標に掲げながらも達成が難しい「毎年200イニング投げること」。コールはデビュー6年でFA権を手にしたものの、ロングリリーフもこなすなど、先発としての確固たる地位を固めきれずにいた。

「KBOへは〝先発投手〟として行ける。もう一度、相手打線と何度も対戦しながら、試合を組み立てる挑戦がしたかった。まだできるという自信はあった」

 このままメジャーにいるよりは、思い切って違う環境へと心を決めた。「世間の期待は、前年までメジャーで投げていたんだからリーグを圧倒するだろう、というもの。自分自身も力強い投球で本来の姿を見せて200イニング近く投げられるだろうと思っていた。でも、全く真逆のことが起きたんだ」

 駆け出しは順調だったが5、6試合目で大きく崩れた。同時に野球以外の壁にもぶつかった。

「文化的なものかとも思ったけど、孤独感が強かった。一部のスタッフや通訳さんは僕が元の状態に戻れるようにっていろいろ気遣ってくれたけど、ほとんどの人が離れていった。うまく投げている時は『その調子!』と言っていたのに、ダメになった途端に疫病神扱いされている感じがした。原因は自分にもあったと思う。うまく投げられない原因をつかもうと、時間があればビデオを見て、自分のことばかり考えていたから。でも、明らかに孤立していたね」

 この話を聞いた時、チームメートが自分と向き合っている時にはそっとしておくのも配慮という考え方は、もしかしたらアジア的なものかもしれないと思った。ただ、それが配慮だと分かっていても、言葉も通じない外国で話す人がいないツラさは私も身をもって知っている。

 5月3週目。妻クリステンさんが仕事で帰米したタイミングで、コールは知人のつてで孤児院を訪ねる。

 ☆コール・アービン 1994年1月31日生まれ、カリフォルニア州アナハイム出身。2012年、15年に受けたMLBドラフト指名で契約せず、16年の32巡目(全体967位)でフィリーズと合意。19年5月にメジャーデビュー。アスレチックス、オリオールズ、ツインズを渡り歩き、昨季は韓国プロ野球の斗山に所属。今春はドジャースとマイナー契約を結び、キャンプに参加した。193センチ、102キロ。左投げ。