【昭和~平成スター列伝】“世界の16文”として一時代を築いた全日本プロレスの創設者、故ジャイアント馬場さんの「デビュー65周年アニバーサリー『ジャイアント馬場展』」が、神奈川・相模原市のアリオ橋本で開催中だ(2月28日~3月9日)。馬場の貴重なベルトの数々や当時のポスター、愛用品、油絵など数多くが展示され、8日には鉄人・小橋建太が来場してトークショーなどを行う。

馬場の16文キックと小橋のドロップ攻撃が冬木にヒット
馬場の16文キックと小橋のドロップ攻撃が冬木にヒット

 馬場と小橋といえば記憶に残るのが1989年3月27日後楽園大会で2人が初めて組みフットルース(冬木弘道、川田利明組)のアジアタッグ王座に挑んだ試合だ。小橋はまだデビュー1年1か月でシングル戦未勝利。当時は異例の大抜てきとされ「親子タッグ」とも呼ばれた。馬場にとっては実に約33年ぶりのアジア挑戦となった。

 小橋は後年「俺は海外に行きたかった。でも馬場さんは自分のそばで育てようと思ってくれたんじゃないか。だからデビュー間もない俺を抜てきして挑戦してくれた。周囲の反発も大きかった。でも俺は絶対にチャンスは逃さないという気持ちだった。あそこでおとなしくしようと思っていたら、その後の俺はなかった。ある意味、人生の分岐点だった」と振り返っている。「“親子タッグ”ジャイアント馬場、小橋健太組がアジアタッグ王座に肉薄したが、あと一歩でベルトを逃した。ゴングから親子タッグは猛ダッシュ。絶妙の連係が10分過ぎに爆発する。馬場が冬木をロープに振ると、直後に小橋がリングに飛び込んだ。馬場が左足を高々と上げ、小橋がドロップキック! 3本の足が冬木の胸に直撃した。冬木と川田が2人がかりでブレーンバスターを仕掛けると、馬場は2人もろとも逆に投げ捨てる。“父”に負けじと小橋も燃えた。川田の背後に素早く回り込み原爆固めだ。意地と根性だけで返した川田は、最後の気力だけで飛龍原爆固めをお返し。やっと3カウントを奪った」(抜粋)

 和田京平名誉レフェリーはこの試合を振り返り「馬場さんは小橋をトップに引っ張り上げようという考えだったんじゃないかな。米国に行っても学ぶことはないと。話題にもなるしね。大木が下に生えてきた木を伸ばそうとした。自らパートナーになったのも、身をもって小橋の肥やしになろうとしたと思う。事実、この試合から小橋は伸びたからね」と語った。

 敗れた小橋は翌90年4月9日岡山大会で2代目タイガーマスク(三沢光晴)と組んでダグ・ファーナス、ダニー・クロファット組からアジアタッグ王座を奪取。歓喜の王座初戴冠を果たしている。一方の馬場は、これが最後の王座戦となった。この勝利を機に小橋はトップ勢に食い込み、三沢とともに90年代の輝かしい四天王時代を支えることになる。 (敬称略)