【昭和~平成スター列伝】大相撲、プロレス、総合格闘技で活躍し“借金王”の愛称で親しまれた安田忠夫さん(享年62)が8日に急逝した。大のギャンブル好きで、2007年10月には「自殺未遂騒動」を起こすなど波瀾万丈の人生を送ったが、他人を困らせながらも人懐っこい性格は誰からも愛された。
大相撲では小結まで進むも廃業後の1993年6月に新日本プロレスに入門。翌年2月に日本武道館大会での馳浩戦でデビューした。01年には故アントニオ猪木さんに見いだされて、総合格闘技で才能が開花。大みそかの「INOKI BOM―BA―YE 2001」のメインでK―1ファイターのジェロム・レ・バンナから大金星を挙げた試合はファンに大きな感動を与えた。
バンナ戦で一躍、時の人となった安田は勢いのまま翌年2月16日の両国国技館大会で空位となっていたIWGPヘビー級王座決定トーナメントに出場。激戦を勝ち抜いて殊勲の王座初奪取を果たしている。
「2・16両国国技館大会のIWGPヘビー級王座決定トーナメント準決勝第1試合は、永田裕志が何とかリック・スタイナーを下した。続く安田忠夫対蝶野正洋戦は安田がズバぬけた突進力でペースを握った。蝶野の巧みなインサイドワークにも、猪木祭のバンナ戦勝利で波に乗る安田は屈しない。バタフライロックをそのまま持ち上げ、雪崩式ブレーンバスターで切り返した安田が至宝奪取に王手をかけた。しかし決勝戦では永田のサブミッションに大苦戦。開始直後、速射砲ミドルキック6連発。安田は場外に落ちた。だが永田に格闘スタイルでこられては、安田も引き下がれない。脳天へのヒザ蹴り、ナガタロックⅡを耐えるとボディーブローで永田のストマックを破壊。スタンディングでの打撃戦も制した安田は、得意のフロントスリーパーで永田の息の根を止めた。安田は『本当はバンナ戦の前から変わっていた。この1年間でオレも肉体、技術的に身につけてきたものがある。それが良くも悪くもバンナ戦から結果として出たということ』と胸を張った」(抜粋)
この時期が安田のレスラー人生の頂点と言えるだろう。同年3月21日には天山広吉を下して初防衛に成功。しかし4月5日東京体育館大会で永田に王座を明け渡した。その後は魔界倶楽部入りしたが、素行不良などの影響で活躍の場が減少。05年1月に新日本プロレスを解雇されてからはIWAジャパン、ハッスル、IGFなど団体を渡り歩き、11年2月に引退した。
永田は「人間力というか、不思議な魅力のある人だった」と故人を悼んだ。大相撲から転向後は慣れないプロレスのトレーニングに毎日悲鳴を上げながら必死に食らいついた。馳とのデビュー戦では、それを熟知しているヤングライオン勢がセコンドにつきながら誰もが涙目になっていたのが忘れられない。本当に憎めない人だった。改めて合掌。 (敬称略)













