1956年に群馬県邑楽郡明和町で生まれました。3人きょうだいの次男で、上から兄(進一さん)、自分、妹(陽子さん)。基本的に中学3年までは内気少年で、家が大好きでした。

 父(好一さん)はスポーツマンで、東武鉄道の野球部に所属していました。陸上100メートルの選手でもあり、国民体育大会が開催される前の明治神宮競技大会(24~43年)に群馬県代表で出場しました。身長は175センチぐらいで、全国大会に進んだらみんな体が大きくて、かなわなかったみたいです。

 母(照子さん)は農家の娘で田植えのプロ。あっちこっちで田植えを手伝ってお金をもらっていたし、農作業が得意でした。そんな両親の影響もあり、生まれながらに足腰は強かったです。

幼児の頃の谷津嘉章(本人提供)
幼児の頃の谷津嘉章(本人提供)

 両親の教育方針は放任主義で「勉強しろ」などと言われたことは一切ありませんでした。幼少期はプロレスにまったく興味がなかったけど、父が家で見ていましたね。小学校低学年の時に兄とプロレスごっこをさせられたことも…。

 中学2年の夏ごろまでは帰宅部でした。身長がすくすく伸びて、担任の先生に「バスケをやりなさい」と言われて始めたけど、長続きはしなかったです。当時は運動どころではなくて、車やバイクといった乗り物に興味がありました。実家から利根川が近くて、母親のスーパーカブを借りて河川敷へ走りに行ったりしていました。

 そして中2の夏に、柔道部に所属する友達が結構いたので誘われるがまま、郡大会の個人戦と団体戦にエントリーしました。「柔道って何をやるんだよ」って思いながら、まずはやり方を聞いて。友達に“投げたり、取っ組み合いをすればいいんだ”って言われて「ああ、そんなもんでいいのか」と。少し練習しただけでしたが、個人戦で優勝して「柔道はみんな、こんなに弱いのか」って思いましたね。

 正直、柔道が楽しいとは全然感じなかったです。練習の時に先輩を肩車しながら、柔道場のある1階から3階までを行き来して。先輩から「もう1回!」と何度も言われて「なんで、こんなに苦しいことをやってるんだ。身長が縮むんじゃないか」という不満もありました。理不尽なことをやらされて、その成果が出るプロセスがわからなかったです。

 運動は楽しいからやることはあっても、その基礎とかは関係ない。何事も我流だったし、いきなり試合をやって勝てればいいと思っていました。練習=勝利につながるとは、全く考えていなかったです。それと乗り物が好きだった影響もあって72年4月に栃木・足利工大付高(現・足利大付高)の自動車科に進学し、そこでレスリングと出会うことになりました。