【プロレス蔵出し写真館】「蝶野、お前はこれをイッキだな」。長州力が強権を発動した。

 長州は蝶野正洋を呼び、口にウイスキー「ホワイトホース」のボトルをくわえさせた。そしてビンをゆっくりと斜めにして酒を注ぎ込んだ。ほどなく蝶野の目はうつろになった(写真)。

 これは今から33年前、1992年(平成4年)5月11日から13日まで、静岡・土肥温泉で行われた新日本プロレス恒例の春季合同合宿のひとコマ。

 現場監督の長州は、この合宿の意義を「体づくりが主じゃない。選手の相互親睦が目的だ。今、プロレス界は激動期を迎えようとしている。一致団結で乗り切る」と強調していた。

 有言実行の長州は、夜の宴会で積極的に〝親睦〟をはかったのだった。

 積極的に若手とも絡む。酒が入り、場が活況を呈してきたタイミングで若手を舞台に上げた。一列に並ばせてから2本のビールを渡し、「ビール2本早飲み競争」を開催した。参加したのは大谷晋二郎、高岩竜一、小島聡、山本広吉(現・天山広吉)、石沢常光(現ケンドー・カシン)、金本浩二、レフェリーの田山正雄。長州は〝審査員〟として正面に正座して目を光らせた。山本が優勝して破顔一笑だ。

若手の「ビール2本イッキ飲み競争」を見つめる〝審査員〟長州(1992年5月、静岡・土肥温泉)
若手の「ビール2本イッキ飲み競争」を見つめる〝審査員〟長州(1992年5月、静岡・土肥温泉)

 そして、「オイ、蝶野!」と呼び、冒頭のイッキ飲み強要(?)へと続く。

 蝶野は「普通にビール1杯で赤くなっちゃうんで、記憶が飛びましたね。長州さんのために弁明すると、健介とか若手と違ってオレら三銃士には気をつかってる感じはありましたよ。たぶん、マスコミへのパフォーマンス、サービスショットでしょ」と回想した。

 ところで、合宿初日、選手は正午過ぎに土肥入り。すぐ〝親善ソフトボール大会〟が行われ、長州を中心にしたベテランチームと獣神サンダー・ライガー中心の若手チームが対決した(結果は10―14で若手チームが勝利)。

 翌12日は朝6時半に起床してランニング開始。骨折からの復帰を目指す佐々木健介は、ひとり軽いジョギングで汗を流した。

 午後からは富家孝リングドクターを招いて「エイズ講演会」が開かれた。新日プロは前年から来日外国人選手にエイズ検診を課していた。試合では、ときに流血戦もある。レスラーたちは真剣に聴講する。

 富家氏は「流血戦でエイズに感染する確率は非常にまれ。試合後に水洗いと消毒をすれば完璧に近い形でOK」。その説明に選手たちは安どの表情を見せた。

 最終日13日は、希望者を募ってゴルフ大会まで催された。長州は「皆が置かれている立場をよく理解している。いちいち細かいことを言わなくても何をなすべきか分かっている。プロとしての自覚が出てきた証拠」と満足げな表情で総括した。合宿は十分に成果、そしてリフレッシュ効果もあったようだ。

 さて、当然、長州もかつてはイッキ飲みの洗礼を浴びた。85年(昭和60年)1月16日、全日本プロレスの熊本・芦北町大会の試合後、〝師匠〟ともいえるマサ斎藤の歓迎会が開催された。

 斎藤から大きな盃に一升瓶の焼酎を注がれた長州は、谷津嘉章の合いの手でイッキ飲みをさせられた。気分が高揚したのか、斎藤とカラオケのデュエットにも興じた。

斎藤(左)に注がれる焼酎を飲み干す長州(1985年1月、熊本・芦北町)
斎藤(左)に注がれる焼酎を飲み干す長州(1985年1月、熊本・芦北町)

 この場に誘われ、同じようにイッキさせられた東スポ・川野辺修記者は「ビールや焼酎の空き瓶がゴロゴロ転がってた。しっちゃかめっちゃかだったね。(ザ・グレート)カブキさんがマサさんと飲みたかったみたいだけど、ジャパンプロレスで集まるって言われて残念そうだった」と振り返った。

 昔は豪快と言われたレスラーの飲み方も、時代とともに変わってきているようで、この手の話は聞かない。昭和から平成にかけて、忘年会、飲み会で〝定番〟だったイッキ飲みも今は昔になった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る