10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)は生前にさまざまな伝説を残した。中でもファンの間で語り継がれているのが、当連載でも取り上げた、新日本プロレスの「熊本旅館破壊事件」(1987年1月23日)だろう。元猪木番記者が〝昭和〟の燃える闘魂を振り返る連載第17回は、気になる事件の〝その後〟を取り上げる――。

 熊本県水俣市の旅館をズタボロにした新日本プロレス御一行。翌朝、あれだけ大歓迎されたのに、誰一人見送りに来なかったというところまではよく語られている。なので今回は、旅館を出発してからの話をすることにしよう。

 大宴会の翌日(1987年1月24日)は福岡県飯塚市での大会だった。移動のバスの中では、さすがに選手たちもぐったりして眠っていたという。私は午後4時ぐらいに会場入りした。するとリングのエプロンでいつも通りストレッチしていた坂口征二が「ぐふふ」と、普段の倍の笑顔でこう迎えてくれた。「おお、生きとったか。よく無事でここまで来れたな」

 前田日明が武藤敬司をボコボコにする姿を目の当たりにした私以外のマスコミは、震え上がって「巻き添えにあってはたまらん」と逃げるように帰っていった(実は私も怖かったのだが…)。いたるところで大乱闘が起こったこともあって、坂口は前出のセリフを吐いたのだろうが、私を見る目は仲間、同志を見るような感じだったのを覚えている。

「武藤は今日欠場。あれだけ顔が腫れているんだから出せないだろ。前田は出るよ」(坂口)

 それで前田を探した。すれ違う選手たちはみんな「あっ、無事だったんですね」「よかった、生きてて」「おお、勇者よ」などと笑いながら声をかけてくる。これまた修羅場をともにくぐり抜け生還した戦友を見るような目で、親密度がいっぺんに上がった気がした。

 しかし、前田は見つけられなかった、と思う。会話した記憶がないのだ。難しい顔でバーベルを挙げていたような気もするが、定かでない。

 一方、猪木さんとの話はしっかり覚えている。終始、笑顔だった。「おっ、来たか。まぁ、やってよかったんじゃないか。旅館が大変? ダメなら買っちゃえばいいんだよ。ガハハハハ」

 当日の試合は、どれもやけに早くケリがついたような気がする。さすがにみんなお疲れで、いつもならハネ返せるものもハネ返せなかったのだろう。これで熊本旅館破壊事件は完全完結だ。

 ところで、今でこそこの大宴会は事件と言われているが、当時の参加者にそんな意識は全くなかった。ちょっと宴会で騒ぎすぎた――こんな感覚だ。当時デスクだった後の平成の仕掛け人・永島勝司氏も「お前ら、大暴れしたんだって? 猪木に聞いたよ」と笑っていただけ。原稿にしろとはひと言も言われなかった。だから当時、この件に関しては1行も書いていない。

 旅館破壊事件は、古舘伊知郎さんが「人志松本のすべらない話」で披露するまで、我々にとっては〝ちょっとハメを外しすぎただけのよくある話〟だったのである。昭和、だった。