元猪木番記者が〝昭和〟の燃える闘魂を振り返る。1日に死去したアントニオ猪木さん(享年79)は南海の楽園・パラオを何度も訪れるなど、生涯を通じて海を愛した。1987年1月、新日本プロレスの巡業先の熊本・水俣市の某旅館で発生した伝説の「熊本旅館破壊事件」の日も、寒い冬の海にダイブしていた。その理由とは――。

 1987年1月23日。プロレスファンなら誰もが知っている熊本旅館破壊事件が起こった日だ。阿鼻叫喚の地獄絵図となったのだが、猪木さんはどうやって宴会に臨んだか思い出したので、ちょっと書いておく。

 熊本・天草から水俣に転戦してきた新日本プロレスご一行。猪木さんは着くなりランニングだ。すると海が見えてきた。猪木さんは「よしっ、泳ぐぞ」。どんどん海に向かっていく。いくら九州とはいえ、1月の海はヤバい。大丈夫ですか?という問いに対する猪木さんの答えはこうだった。

「水俣の海は(50年代後半から60年代にかけて発生した水俣病など)公害のイメージが強すぎて、いまだに汚れていると思われてるところがあるだろ。でも、それは間違いだ。努力してきれいにして、今では日本でもトップクラスのきれいな海になってる。それを俺が泳いで全国にPRしてやるんだ」

 いたずらっ子のような笑顔を見せて猪木さんは海にダイブ。広い海にはもちろん猪木さん以外に泳いでいる者などいない。巡業に同行していた九スポの白石明カメラマンは「寒中水泳する猪木――これは絵になるっちゃ」と喜んでシャッターを切っていたっけ。

パラオの海にダイブする猪木さん(2003年)
パラオの海にダイブする猪木さん(2003年)

 もっとも、水俣のきれいな海PRうんぬんは後づけであると思われる。賢明な猪木ファンには種明かしするまでもないだろう。この寒中水泳は猪木さんが大好きだった〝氷風呂〟の代わり。冷たい海に入ることで血糖値を下げようとしたのだった。

海にもぐる猪木さん(2000年)
海にもぐる猪木さん(2000年)

 血糖値も下がって万全の状態となった(?)猪木さん。水俣市体育館のメインイベント6人タッグマッチではバックドロップで勝利の雄たけびを上げ、気持ちよく〝決戦地〟である宿泊先の旅館に向かったのである。まさかあんなことになるとは思わずに…。

(元プロレス担当・吉武保則)