赤よりも濃い、黄色と黒の「虎の血」を次世代へつなぐ――。阪神・藤川球児監督(45)が8日に兵庫・西宮市内の「甲子園歴史館」を訪問し、今月4日から同館で一般公開されている「藤村富美男監督退陣要求書」を見学した。令和の時代とは比較にならぬほど、闘争本能やエゴがむき出しだった昭和の球界に思いをはせた令和の虎将は、来季以降も孤独で険しい〝虎道〟を進む覚悟を新たにした。

 同書状は「初代・ミスタータイガース」と呼ばれた藤村が阪神の監督を務めていた1956年に、当時の主力選手たちが指揮官の解任を求め球団に提出した連判状。チームの主将(当時)だった金田正泰の名を筆頭に、吉田義男、小山正明ら有名選手の名も記されている。その後、何度も繰り返された「阪神お家騒動」の元祖とも呼べる出来事を、現代に生々しく伝える〝一級資料〟だ。

これが展示されている「藤村富美男監督退陣要求書」
これが展示されている「藤村富美男監督退陣要求書」

 同書の前に立った藤川監督は「みんな本気だったんやなあ」とポツリ。「自分も20歳の頃、現役で激しい争いを繰り広げている時に、川藤(幸三=前OB会長)さんから『それでええんや。それが面白いんや』と言われてきた理由が今になればよく分かる。それだけ本気になれるものが甲子園、タイガースにはあるし、自分としてもシンパシーを感じるものがある」と語った。

 組織において、本気でぶつかり合った結果の衝突は「当然必要。チームを勝たせることにつながるし、時に壊れてしまうこともあると思いますが、そのギリギリを行かなければ勝つことはできない」と藤川監督は断言し、以下のように続ける。

「私が仕えた星野監督や岡田監督は強いリーダーシップの持ち主。星野さんの熱さや岡田さんのタイガースへの愛に向き合う中で自分も感化され、血となり肉となった。金本さんもそうですね。覚悟の決まった方というのは、そうそういるものではない」

 圧倒的な強さで史上最速となるリーグ制覇を果たした就任1年目の藤川監督も、舞台裏ではチーム戦略や起用方針をめぐり、コーチ陣と何度も衝突を繰り返していた。

 一連の排斥運動などで世間のイメージを悪くした藤村はその後、阪神球団とは一定の距離を置きながら、東京スポーツ評論家、テレビ解説者、そして77年には俳優としてテレビ時代劇「新必殺仕置人」(朝日放送制作)に元締・虎役でレギュラー出演するなど幅広く在野で活動。そんな時に「お前いつも偉そうにしているな。それでええんや!」と激励したのが「浪速の春団治」と呼ばれ、今も試合前の甲子園一塁側ベンチに足しげく姿を現す川藤前OB会長だ。

 初代ミスタータイガースの衣鉢を継いだ川藤から、長年にわたり「虎の歴史」を説かれ続けてきたのが他ならぬ藤川監督だ。脈々と流れ続ける大河の系譜の中で「今後、歴史を語り継ぐ人間は? 今は自分しかいないかもしれませんね」との矜持を示した現指揮官は「監督の役割をいただいている間に、僕が次につなげたい」と語る。

 周囲への妥協が過ぎれば「なれ合い」と言われ、独りよがりが過ぎれば「独裁」と批判されてしまうのが監督業の難しさ。それでも孤独を恐れずに、間もなくやってくる新たなシーズンへ覚悟を決めて進む。本当に強いチームは衝突など恐れない。