【中島輝士 怪物テルシー物語(79)】2011年、私は台湾プロ野球の統一ライオンズの打撃コーチとして1年目のシーズンを過ごしました。アジアシリーズへの出場も決まり、11月12、13日に開催された日本シリーズの視察に出向いたことを覚えています。

 日本のプロ野球に詳しい方々なら日程が遅いなと思われると思います。普段なら11月の頭には終わっているはずなのですが、このシーズンは東日本大震災の影響で開幕が遅れていました。台湾チャンピオンになった我々は、NPB出身の私と紀藤真琴投手コーチ(現役時代は広島などで活躍)を日本代表になるチームの戦力分析のために派遣したわけです。

 このシーズンは中日とソフトバンクの顔合わせで、ホークスが4勝3敗で日本一になりました。確か11月14日の移動日のことだったと思います。博多から上りの新幹線に乗っていたのですが、紀藤は自宅がある広島で下車。私は自宅のある新大阪で降りる予定で席に座っていました。

 紀藤が広島で降りた後、その空席に乗ってきたのは当時、阪神でプレーしていた「鉄人」「アニキ」こと金本知憲でした。どういうわけか、偶然でいろんな話をさせてもらいました。彼は当時、右肩の故障に悩んでおり、現役最晩年に差しかかっていました。ずっと患部の状態について話していたような気がします。そして金本は実際に12年シーズンを最後に現役を引退しています。

 金本と私の接点? と思われる方々もいらっしゃるかもしれませんが、これは私がアマ野球の全日本のメンバーだった頃までさかのぼります。当時、全日本の合宿を東北福祉大で行ったことがあり、まだ大学生だった佐々木主浩(横浜、マリナーズ)や金本が練習を手伝ってくれたことがあったんです。

 そんなこんながあり、12年には統一ライオンズの打撃コーチとして2年目のシーズンを迎えることになりました。ところが、まさかの事態が発生します。2月半ばに呂文生監督が野球賭博に関与していた疑いがあるとして、当局からの捜査を受ける事態に発展。そのまま監督を辞任してしまったんです。

 そんなことになるなんて予想だにしません。監督は同い年でしたし、優しい人柄で、事件に関わっていたなんて夢にも思いません。最後にどんな話をしたか詳しくは記憶していないのですが「そういうことになってしまったんで、すいません」というようなやりとりをしたと思います。

 監督が辞任。さらに後任監督に私が就任するということになりました。これはなかなかの衝撃ですよ。もちろん、NPB時代にも監督経験などありません。ましてや不祥事で揺れるチームを率いるなど、どうすればいいのか…。

 そうした心境でシーズンに入りましたが、開幕してみれば前期は2位に12ゲーム差をつけて優勝です。後期は3位になり、台湾シリーズではラミゴモンキーズと対戦しましたが、前年に続いての連覇とはなりませんでした。次回は12年シーズンで活躍してくれた日本の助っ人投手についてお話しさせていただきます。