【中島輝士 怪物テルシー物語(80)】2012年、台湾プロ野球の統一ライオンズで打撃コーチとして2年目のシーズンを迎えるはずでした。ところが、野球賭博が絡んだ事件が発生し監督が辞任。その後任として私がチームを率いることになりました。当然、そんなことは予想だにしていませんでした。
ただ、チームに関わるのは2年目とあって選手おのおのの特徴や性格などは把握していました。前任の呂文生監督からは攻撃面の仕事に関しては、ほぼ全て任せてもらっていました。投手コーチには元広島などで活躍した紀藤真琴がいましたので、こちらもコミュニケーションに関しては問題ありませんでした。
12年シーズンは前期優勝、後期3位、台湾シリーズ敗退という成績となりました。その戦いの中でローテの軸として活躍してくれたのが、元ヤクルトの鎌田祐哉でした。鎌田は秋田経法大付属高から早大を経て00年ドラフトでヤクルトから2位指名を受けて入団しています。入団同期には坂元弥太郎、畠山和洋らがいます。
全盛期にはヤクルトの将来のエース候補でした。3年目の03年には2完封を含む6勝、防御率3・21の成績を残すなど力を発揮しました。ただ、右肩の故障などもあり、その後は低迷する時期もありました。
ヤクルトから楽天を経て12年から統一でプレーすることになるんですが、制球力の素晴らしさを見て、台湾球界で活躍する見込みがあるとすぐに感じました。いわゆる日本の投手が誇る高精度な投球ですね。鎌田はここに投げろと言えば、しっかりそこに投げてくる。ボールが速いだけのノーコンとはレベルが違います。
結果、シーズン通して26試合に登板し25試合に先発。2完投を含む16勝7敗、防御率3・15という圧倒的な数字を残しました。1イニング平均で出す走者の数値を示すWHIPは1・14。堂々の最多勝です。鎌田が投げたら試合が終わるの早かったですもんね。これはなかなかの数字ですよ。
後半戦の成績が悪く12年限りで退団などと記述してある一部の記事もありましたが、私の記憶ではそんなことはありません。監督の立場からすれば来季も必ず残ってほしい戦力です。球団には残留を希望する助っ人の1番手として慰留してくださいと念を押して日本に帰国していますから。
ただ、球団的にはMLB出身の豪腕投手を欲しがるんですね。最速155キロみたいなね。でも野球は速い球を投げることを競う競技じゃないんです。投手の技術の要はコントロールですから。内外角の出し入れや緩急を含めた投球術に勝るものはない。
それなのに、台湾に帰ったら球団が鎌田と契約していないというわけです。紀藤投手コーチと「冗談じゃないですよ」と抗議したことを覚えています。
結局、鎌田は12年シーズン限りでプロ野球の世界を引退してしまいました。13年からは不動産業に転身し活躍されています。引退後の13年7月には統一から招待があり、本拠地の台南で引退セレモニーが行われました。
NPBで11年間プレーし14勝の鎌田が台湾リーグで16勝してくれた。これは日本野球のレベルの高さを証明してくれた結果だと思っています。












