【中島輝士 怪物テルシー物語(81)】2012年シーズン、私は台湾球界に渡り2年目です。最初は統一ライオンズの打撃コーチとして留任したはずなのですが、アクシデントで監督になってしまったから大変でした。
アクシデントの内容は前回にお話をしましたが、台湾野球では野球賭博が横行した時代があったんですね。自分の専門である打撃部門を預かるつもりが、チーム全体を掌握するとなると全く違います。比べてしまうとコーチの方がそりゃ楽ですよね。監督はやっぱり大変だと思います。
チームの勝敗に対するプレッシャーに関してコーチであっても持っていますが、監督とでは違います。私は監督になってからは投手ばかり見てましたね。専門外であったことももちろんですが、野球において投手の重要性たるや語るに及ばずです。
チーム全体を見渡すという責任を伴う仕事ではありましたが、やってみて思ったことはやりがいのある仕事であることは間違いないなということです。2年目は前期優勝、後期3位で台湾シリーズ敗退という結果でした。
そして私が監督して最初からスタートした13年シーズンは前期優勝を逃し、8月4日に成績不振のため監督を退任することになってしまいました。その後、私はアドバイザーという形で最後までチームには残りました。
私の退任後にチームは後期優勝。台湾シリーズでは前期優勝の義大ライノズに4連勝し年間優勝を果たしました。ただ、私自身は監督退任となったことがネガティブな記憶なのか、その当時のことをあまり鮮明には覚えていません。アジアシリーズでは決勝でオーストラリアのキャンベラ・キャバルリーに敗れたものの、準優勝という成績を収めたのですが、資料を見るまでは私の記憶からは抜け落ちたようになっていました。
台湾、韓国を含めた日本以外のアジア野球の系統としてはMLBに思考が向いていると思うんですね。野球自体としては楽しいのかもしれません。剛速球とフルスイングの真っ向勝負ですから。でも、日本の野球と比べると、きめの細かさというか丁寧さが違いますね。
台湾での3年目は監督として成績不振で退団。異国での単身赴任の生活は長いようで短い時間でした。現役を退いてコーチになりスカウトとなり、コーチにまた戻って、海外リーグの指導者となる。本当にどれをとってもいい経験ばかりでした。12年オフには投手の補強策として元ロッテ、DeNAの清水直行の獲得にも乗り出しましたね。左ヒザを痛めていたこともあり、12年には一軍登板はなくDeNAから戦力外通告を受けていたタイミングです。代理人が沖縄にいるということで、台北から飛行機で沖縄に移動し契約交渉を行いました。
詳しい条件は書けませんが年俸、契約金と合わせた額面をもとに交渉を行います。結果的には断られることになりましたが、日本の投手の制球力があれば台湾球界では成功できるという考えのもと、選手の獲得に動いた時期もありました。
清水は引退後にはニュージーランド野球連盟のGM補佐や同国ナショナルチームの投手コーチなども経験。WBCでは代表チームの投手コーチ、日本ではロッテの投手コーチや沖縄の独立リーグの監督なども歴任していました。海を越えて野球でつながるご縁は不思議です。












