【中島輝士 怪物テルシー物語(78)】初の海外チームでの指導となった台湾野球・統一セブンイレブン・ライオンズでの1年は充実したものになりました。2011年といえば、日本では3月11日に東日本大震災が発生したシーズンです。台湾には親日家も多く試合開始前の募金活動にたくさんの方々が協力してくれました。選手たちも積極的に協力してくれたことを記憶しています。
実体験ではありませんが、戦時に日本が台湾を統治していた時代があることも知っています。そんな影響もあって、統一ライオンズの本拠地・台南には日本的な建造物の面影を見つけることもできました。当時の台南駅の駅舎は日本統治時代のままだったと聞いています。いろんな面で親近感が湧き、私にとっては初の海外でも快適に生活させてもらっていました。
呂文生監督は同じ年齢で、私に何でも相談してくれましたし、優しい人柄でいろんなことに気を使ってくれました。基本的には打撃コーチとしての方針は任せてもらっていましたし、チームも結果が出て11年前期を制し、10月には年間優勝を達成しました。
すると、11月には地元の台湾で開催されるアジアシリーズの出場権を得るわけです。東日本大震災の影響で開幕が遅れたこともあり、日程調整しながら大会は11月25日から同29日まで台中インターコンチネンタルスタジアム、桃園国際野球場で開催されました。
NPBからは日本シリーズ王者のソフトバンク、KBOからは韓国シリーズを制したサムスン・ライオンズ、CPBL(台湾)からは我らが統一に加え、ABL(オーストラリア)から国内リーグで優勝したパース・ヒートが初参加しました。
優勝したのはサムスンで、韓国勢として初のアジアシリーズ勝者となりました。決勝で敗れたソフトバンクは05年の第1回大会から続いた日本勢の連覇を「4」でストップさせてしまいました。
統一は初戦でソフトバンクに5―6で敗れました。4点ビハインドの9回に3点を挙げて追い詰めましたが、最後は元阪神の金沢健人投手に抑えられゲームセット。先発投手はスカウト時代、九州共立大の投手としてマークしていた新垣渚でした。
監督だった秋山幸二も同学年。九州大会をともに戦い、プロでもしのぎを削った仲間ですから。現地では懐かしい話をした思い出もあります。NPB代表のソフトバンクからすれば、日本シリーズが終わった後のオマケではないですが、シーズンのベストメンバーではない。しかし、統一は開催国の台湾代表ですから必死に勝ちにいきました。
台湾リーグ参戦1年目はそんな感じで終わっていきました。成績も伴って翌12年もチームは変わらず、同じ打撃コーチとして2年連続で単身赴任することも決まりました。
ただ、人生とは予測がつかないもの。12年シーズンでとんでもない経験をすることになるんです。日本に帰国してつかの間のシーズンオフを過ごしキャンプ、オープン戦、開幕を経て私はまた新しい経験を積むことになります。












