【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】ごく普通の会話の始まりのはずだった。

「野球以外に興味…ないんだ。兄がプロ野球選手だったから、兄の背中を見てずっと野球選手になることを夢見てきた」

 エリアス・ディアスには年齢が離れたエミソン・ソトという兄がいる。メジャーには上がれなかったが、レッドソックス傘下で4年間プレーし、メキシコリーグや地元ベネズエラのウインターリーグなどでも活躍した自慢の兄だ。

「確か15歳とか17歳くらい離れているんじゃないかな(実際は19歳差)」

 年を正確に知らないのかとは思ったが、この時はさほど気に留めなかった。3歳の時に初めて兄に付いて野球場へ行き、そこから野球一筋だという。エリアスの英語は完璧ではないものの、お互いに意思疎通できるほどには会話が流れていた。

「兄に『自分もプロ入りしたい』と言ったら『分かった。よし、やってみよう!』と言って、毎日練習に連れて行かれたんだ。とても厳しいコーチで、あまりにハードだったからいつも泣いていた。時に『今日は行きたくない』と言うと『ダメだ。タフにならなきゃ』ってね」

「兄弟2人だけ」と言うので、エリアスはご両親にとって待望の子だったのだろうと思った。そして彼が6歳の時に父ポルフィリオさんが68歳で他界したこともあり、エミソンさんが父親的存在でもあったのだろうと。

「うん、兄はとてもいい人だよ。努力家で親切だし、いい兄でありながらいい友達でもあって、兄や姉も彼を尊敬している」

 一瞬、思考が止まった。先ほど兄弟2人と言ったはずだ。聞き返すと「いや、兄には上に2、3人いる」。その言葉に集中力が一気に高まる。「兄弟はたくさんいるんだ。父は母と一緒になる前にファミリーを持っていたから」。ふたを開けてみると、実はエリアスの母アナさんは後妻で、ポルフィリオさんには前妻との間に子供が14人、アナさんには6人で、エリアスはその末っ子だった。「兄弟2人」と言ったのは「野球選手になったのは2人だけ」を意味していたらしい。

「20人? 兄弟20人!?」。すっとんきょうな声がクラブハウスの隅で鳴り響いてしまった。エリアスは、笑いながら当時のベネズエラでは「珍しくなかったよ」とか「父は普通の仕事をしていた」と説明する。加えて、末っ子の彼は兄弟よりもおいたちと一緒に育ったそうだ。

 頭の中で足し算やら掛け算が始まった。おいっ子らの子供の数は100人以上に上るのではないか。「まさに100%、その通り」。おどけているのか、私の反応が面白かったのか、エリアスはずっと笑っていた。名前は到底覚えられないらしい。

 さすがにホリデーは別々に過ごしているそうだが、結婚式ともなれば列席者の家族枠が軽く100人以上…。「ああ、いつもとてもクレイジーだよ」。大家族に生まれたことをエリアスは「祝福」だと言う。「本当に大勢で支え合えるから」と。幼い頃のエリアス少年がファインプレーをするたびにスタンドで喜ぶ大家族の姿を想像して、とても納得してしまった。

 ☆エリアス・ディアス 1990年11月17日生まれ、ベネズエラ出身。2008年にパイレーツと契約。15年9月にメジャーデビュー。19年オフにノンテンダーFAとなり、20年にロッキーズ入り。21年から100試合以上に出場。父親がコロンビア出身のため、23年のWBCには同国代表で出場し、オールスターにも初出場。24年8月に自由契約となり、パドレスに加入。185センチ、101キロ。