【赤ペン!】長嶋茂雄さんはプロ1年目、打撃不振で“ノイローゼ説”を報じられたことがある。いつも明るかったミスタープロ野球のイメージとはかけ離れている逸話だが、本当だ。

 きっかけは、長嶋さんがデビュー戦で喫した4打席連続三振である。1958年4月5日の本拠地・後楽園球場、国鉄(現ヤクルト)との開幕戦に、長嶋さんは3番・サードでスタメン出場。エース金田正一の剛速球に手も足も出ず、4打席すべて三振に仕留められた。

 長嶋さんは翌日の試合でも救援登板した金田に三振に抑えられ、5打席連続三振。その次の対戦も金田を打てず、3試合連続無安打となった。

 長嶋さんは当時珍しく「どうも自信がない」とコメント。これが「三度までも金田に屈辱 長嶋どうやらノイローゼか」という見出し付きで新聞に報じられたのである。

 一連の経緯は、第2次長嶋監督時代最終年の2001年に発売されたDVD「長嶋茂雄 21世紀への伝説史」に描かれている。「ノイローゼ記事」の画像も出てくる非常に貴重なドキュメントだ。

 ところが長嶋さんにこの件について聞くと、こう一笑に付された。
「いやいや、あの時は、そのうち打てるぐらいに考えてましたよ。自分の力は自分が一番よくわかってるんですから。まあねえ、記者の方には、気を引き締め直してとか、また自信を取り戻してだとか、何か適当なことを言っとかなきゃいけなかったものですからね」

 さらに「当時はノイローゼという言葉自体、まだなかったんじゃないかな」とダメ押し。ここまで言い切られては、二の句が継げなかった。

 しかし、果たしてあの言葉は本音だったのか。めっきり力が衰えた現役最終年の74年、長嶋さんは精神的に参っているのではないかと周囲を心配させていたのだ。当時、打撃投手を務めた若手・中井康之は言っている。

「あの頃の長嶋さんは、打撃ケージの中に入っても、ずっと何か考え事をしてた。バットを掲げて、天を見上げてさ、いつまでたってもこっちを見て構えようとしないんだ。やっと構えたかと思ったら、クソボールを痛烈にはじき返す。が、ど真ん中の球は見ているだけで手を出さない。あの年の長嶋さんは、ずっとピリピリし通しだったよ」

 やはり長嶋さんも人の子、悩める時期もあったのか。この現役晩年の件は、長嶋さん本人に確かめられずじまいだった。中井さんも長嶋さんより早く14年に60歳の若さで、この世を去っている。