2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。

【ハダカの長嶋巨人#44・三井康浩スコアラーの巻】

 長嶋巨人のスコアラーと言えば三井さん。その三井さんが出版した著書(ザ・スコアラー=角川新書)を興味深く読ませていただいた。

 取材当時に聞いた話もあれば、初めて知った話もあった。あのころの三井さんはいつもマスク姿。腎臓の病気を患って選手を断念し、スコアラーとなってからも透析が必要な日々だったから、つらそうな時も…。それでもこちらの取材にいつも真摯に応じてくれ、大変勉強させていただいた。

 当時のセ・リーグはヤクルトが強かった時期で、野村克也監督の「ID野球」に巨人はとにかく苦しめられた。一般的なファンが抱いていたイメージは、データ野球で戦う野村ヤクルトに対し、長嶋巨人はカネにものを言わせた巨大戦力でねじ伏せるという図式。ただ、この図式は「データ勝負なら巨人はヤクルトにかなわない」と言われているようなもので、巨人のスコアラーとしては面白くなかったことだろう。

入団発表で正力亨オーナー(前列中央)と写真に納まる三井スコアラー(後列右から2人目)ら選手たち(1979年)
入団発表で正力亨オーナー(前列中央)と写真に納まる三井スコアラー(後列右から2人目)ら選手たち(1979年)

「悔しくないんですか?」。そんな質問を三井さんに何度かぶつけてみたことがある。そんなときの三井さんは決まって苦笑いを浮かべながら「ヤクルトさんにはかないませんよ…」とはぐらかしていたのだが、しつこく聞いているうちにある日、こんなホンネを教えてくれた。

「巨人のスコアラーだってね。配球の傾向や相手選手のクセぐらい、ほとんど把握しているんだよ。ただ、ウチは選手にあえてそれを伝えない。『読み』で残した結果では、長い目で見たら選手のためにはならないんだ。どんなボールにも対応しようとする集中力もそがれることになるし、ウチは球界を代表するような選手を育てなくてはいけない使命がある。もちろん短期決戦や優勝のかかった大事な試合など『ここぞ』の場面では指示を出すよ。でも、普段のペナントレースで安売りすべきものじゃない。それが巨人の伝統であり、やり方なんだよ」

 三井さんの著書にはこのくだりは書かれていなかった。それでも具体的な各投手の攻略法やクセの見破り方、相手選手の調子の見極め方など、思わずうなってしまうような話が、盛りだくさんに書かれてあった。そして侍ジャパンのスコアラーとしてベンチ入りし、WBCの優勝を決める打席に向かったイチローに送った直前の助言…。あれこそがまさに「ここぞ」の試合だったのだろう。

 正直に言います。「巨人はあえて選手に情報を伝えないんだ」という話を聞いたとき、強がりなんじゃないか…とちょっと疑ってしまいました。三井さん、ごめんなさい。