2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人♯40・原辰徳の巻】
「記者の向こうにファンがいる」という「巨人のスター選手心得」の系譜を、長嶋監督からしっかりと受け継いでいたのが原さんだ。とにかくサービス精神が旺盛だったが、怒るときはしっかり怒る。でも、その怒りを決して引きずらない…。私もずいぶん、原さんを怒らせてしまったことはあったが、一番強烈だったのは、2002年の宮崎キャンプでの「辞書事件」のときだった。
ある日の練習後、私は選手宿舎の自室へと招かれた。すると鬼の形相で「そこへ座れ!」と高価そうなソファを指さした。
原さんは私の書いた記事に烈火のごとく怒っていた。その記事は原さん行きつけの焼き肉店のマスターが、殺人事件を起こしていたという内容で、1面見出しは「原 知人 殺人」…。
「おい溝口!『知人』という言葉の意味を知っているのかああああ!」
「は、はい。『知っている人』…ですよね」
「何だと! 今ここで辞書を引け!」
「オレの大事なたくさんの知り合いの人たちが、この記事のおかげで迷惑しているんだぞ!」
とてもじゃないが、言い訳などできる状況ではなかった。
だが、そのままで終わらないのも原さんだ。やがてひと呼吸置くと、東スポの歴代巨人担当記者の名前を一人ひとり挙げていき、こう言った。
「なあ、溝口よ。東スポにはこんなに素晴らしい記者がたくさんいたんだぞ。オマエだってそんな偉大な先輩たちに恥ずかしくない記者にならなきゃいけないだろう? オレはオマエの先輩たちが積み上げてきた東スポの歴史と伝統、それが大好きなんだ!」
説教タイムはこうして終了。翌日からはいつもの原さんに戻っていた。
それからも原さんには、お尻をつねられたり、あまり喜んでもらえる記事は書けなかったけれど…。人との対話を大事にし、いつも正直な感情をぶつけてくれるのはありがたかった。
近い将来、4度目の「夢の続き」を見せてくれることを期待している。














