2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人#31・原辰徳の巻】
原監督が巨人監督を退任する年となった2015年の夏ごろ、当時は代打の切り札としてベンチを温めていることが多かった高橋由伸に関する話題が出たときに、番記者たちにこんな話をした。
「今のメディアは優しいよね。昔だったら、ちょっと試合に出なかったら『引退か?』なんて書かれたもんだよ」
現場の記者からそんな報告を受け「ああ、あの時のことか…」と思い出した。
私が「原、引退」という記事を書いたのは、第2次長嶋巨人2年目、1994年の夏ごろのこと。原さんのお父さんの貢(みつぐ)さんに話を聞きに行き「ボロボロになるまでやるべきなのか、それとも余力を残して辞めるべきなのか」と「引き際の美学」を語ってもらうのが取材のテーマだった。
貢さんの答えは…。あくまで「引き際は自分自身が決めること」としながらも「ボロボロになるまでやるべきではない」という自身の考え方を明かしてくれた。とはいえ、こういう取材をすればどうなるか。翌日の東スポ紙面は「原、引退」「父が引退勧告」となった。
それでも原さんには怒られることはなかったが、貢さんにはこっぴどく叱られた。よく読めば「身の振り方は自分で決めるもの」という前置きがあるのは分かるのだが、見出しだけ見ればそうはならない。実際、原さんが「私の夢には続きがあります」との名言を残し、引退したのは翌95年のことだった。
確かに当時のメディアは、原さんの言うように引退問題にかかわらず、現場に厳しい論調の記事が多かったように思う。だらしないプレーをした選手や、まずい采配をした監督などはボロクソ書かれていたものだし、それこそ力の衰えたベテラン選手は、夏場を過ぎるとまず間違いなく「今季限りで引退か」と書かれた。逆に現場サイドも「書かれても仕方がない」という空気があった。
それに比べると、今はメディアが「優しく」なったのかもしれないが…。だらしない選手に関するネット記事はすぐに炎上するなど、よっぽど一般ファンのほうが「厳しく」なった。
果たしてどちらがいいのだろうか。













