2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の本紙巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人#32・山本和生コーチの巻】
長嶋巨人にあって、個人的に忘れられないコーチが内野守備走塁を担当していた山本和生さん。その後は二軍コーチや寮長などを務めたが、とにかく無口で地味。職人気質の人だった。
九州工から熊谷組に進み、1972年のドラフト会議で巨人が3位指名。現役時代は守備固めでの出場が多く、第1次長嶋巨人では76年の長嶋巨人初優勝が決まった広島戦で、9回二死から三塁ファウルフライをキャッチ。ウイニングボールを手にした人としても知られている。
コーチとしては、ノックの腕前は相当なもので、当時は試合前のシートノックを担当。選手が捕れるか捕れないかギリギリのところに打つノックは「和生さんのノックは日本一」と当時の巨人スタッフにとっては自慢だったらしく、山本さん自身も「狙ったところに打てなくなったらノッカーは引退するよ」とうそぶいていた。
性格は曲がったことが大嫌いで、チーム内からは「ミスター・パーフェクト」と呼ばれていた。といっても完全試合の経験があるわけではない。食事ひとつをとっても、箸の握り方、置き方からしてこだわる「完璧男」というわけだ。
そんな山本さんが寮長に就任することになったのが2000年のシーズンオフのこと。完璧男が「寮で悪タレどもが待っているかと思うと、今から楽しみだ」とニヤリと笑った表情は今でも覚えている。
その後「規則を守れない者は一流のプロ野球選手になれない」という山本さんのスパルタ方式に寮生たちはびびっていたのだが…。そんな完璧男が唯一、認めた男が02年のドラフト自由枠・木佐貫洋だった。
「アイツは人間ができている。あいさつもしっかりできるし、食事も好き嫌いなく何でも食べる。箸の上げ下ろしもキチンとしているし、門限もキッチリ守る。練習への取り組み方も文句ない。アイツに対してはこっちは何も言うことがないんだ。この数年間こんなルーキーはいなかったよ」
山本さんはすでに巨人を離れてしまったが、もし今のチームに「完璧男」がいたら、若い選手たちに何を言うのだろう。きっと愛車ベンツのサイドバンパーが盗まれたとき、怒りをあらわにしたあの時の表情で、選手たちを厳しく育ててくれるのではないかと思う。













