2025年6月3日に亡くなった長嶋茂雄氏を偲び、同氏の第2次巨人監督時代を振り返った連載「ハダカの長嶋巨人」。常に話題の中心にいた「ミスター」を取り巻く人たちを含めた群像劇を、当時の東スポ巨人担当記者がつづります。
【ハダカの長嶋巨人#33・淡口憲治コーチの巻】
国民栄誉賞を同時に受賞した松井秀喜と長嶋監督の師弟関係は広く知られるところだが、当時の長嶋巨人を取材した者にとっては、この人を忘れてはならない。松井を4番にするための「1000日計画」を長嶋監督とともに実行に移した、一軍打撃コーチの淡口さんだ。
「松井4番1000日計画」とは、巨人入団直後の松井を3年間で4番にふさわしい打者にする、という長嶋監督のプランで、松井は試合後など、長嶋監督の見守る中で素振りを繰り返す日々が3年間続いた。そこにはもう一人、淡口さんがいつも立ち会っていたことはあまり知られていないが…。本人いわく「あの時の松井は、まだ右打者を左打者に代えたぎこちなさが残っていてね。ヒザ元のボールと胸元のボールが全く打てなかった。試合後、1000日計画で長嶋監督とで毎日2時間素振りを繰り返して、それを克服したのを思い出すよ」という。
淡口さんは現役時代、お尻をプリプリッと振る打撃フォームで、鋭いライナー性の打球を連発した個性的な選手だった。コーチになってからは人情味あふれる性格と、きめ細やかな指導ぶりが選手に好評で、自分たち担当記者も取材ではずいぶんお世話になった。淡口さんが二軍監督時代は、宮崎キャンプ宿舎の「水光苑」で、お茶を飲みながらいろいろと世間話をするのが楽しみだったものだ。
長嶋監督からも何かと目をかけられていて、現役時代に「コンコルド打法」というネーミングをつけてもらったこともあったそう。ただ、長嶋監督に悪気はまったくないのだろうが、コーチ時代には少々ネガティブな意味にもとれる「ミクロのティーチング」という異名を淡口さんはつけられていた。まあ、現役、コーチともに長嶋さんが名付け親になった人もそうそういないだろう。
そんな淡口さんとの雑談の中で、今でも印象に残っているのが、松井に対しての「育成料として2億円ぐらい欲しいよね」というひと言。あの時はお互い大笑いしたものだが…。
松井よ、今からでも遅くはない。淡口さんにお中元やお歳暮を贈っておいたほうがいいぞ。













