【中島輝士 怪物テルシー物語(27)】1988年、韓国のソウルで開催されたオリンピック。84年の米・ロサンゼルス大会に続き野球は公開競技として開催されました。参加国は8か国で予選リーグA組には米国、韓国、オーストラリア、カナダ。B組には日本、プエルトリコ、オランダ、台湾が名を連ねました。
当時の野球世界ナンバーワンといえばキューバでしたが、政治的な背景もあり、この五輪には不参加。上位争いが予想されたのは、五輪直前にイタリアで行われたIBAFワールドカップ(世界アマチュア野球選手権)で準優勝の米国、同3位の台湾、同4位の日本でした。
当時、参加選手で話題になったのは米国代表の隻腕エース、ジム・アボットでした。生まれつきに右手首から先がない状態ながら「アボット・スイッチ」と呼ばれる独特のグラブさばきで、左腕から最速94マイル(約151キロ)の直球、カーブ、チェンジアップ、スライダーを駆使。後にエンゼルスにドラフトされたことからも分かるように、本格派の素晴らしい投手でした。
日本代表の投手陣も豪華でした。後に90年代前半のパ・リーグを席巻する実力派揃いで頼もしいメンバーでした。後に西武に入団するエース格・渡辺智男(NTT四国)が直前のイタリアでの世界選手権で右ヒジを痛めてしまい、ソウル五輪本番では石井丈裕(プリンスホテル~西武)が先発の柱に据えられることになりました。
そこに続いたのが若き右腕です。社会人2年目で20歳になるシーズンの野茂英雄、潮崎哲也が名を連ねます。捕手には應武篤良さん(新日鐵広畑~新日鐵君津、早大、広島・崇徳高監督を歴任)がいましたが、古田敦也(トヨタ自動車~ヤクルト)がメキメキと成長して、本番では大活躍を見せることになります。今となっては野茂、古田のソウル五輪銀メダルバッテリーは伝説ですよね。
五輪を迎えたジャパンは絶好調というわけではありませんでした。8~9月にイタリアで行われた世界選手権ではキューバ、米国、台湾、プエルトリコに敗戦を喫し1次リーグは7勝4敗の4位。決勝トーナメントでも準決勝でキューバに3―7と敗戦。3位決定戦では台湾に2―4で敗れ4位、メダルなしという結果でした。優勝したキューバは五輪に不参加だったため、世間ではソウル五輪本番では3位以上、ロサンゼルス五輪に続いての連続金メダル、とにかくメダル圏内を期待されていましたね。
B組での予選はプエルトリコに7―1と快勝。初回に二死一塁から私の右中間への適時三塁打などで3点を先制。大森剛(慶大~巨人)の2ランも飛び出しました。先発の石井は被安打4、1失点(自責0)で堂々の完投勝利です。
2戦目となった台湾戦は延長13回の激戦でした。先発で6回無失点の野茂から潮崎、石井とつないで最後は古田のサヨナラ打で4―3と辛勝です。さらには、オランダを相手に6―1と3連勝でB組1位で決勝トーナメントに進みました。












