【中島輝士 怪物テルシー物語(28)】1988年、韓国・ソウルで行われたオリンピックに私は全日本の4番打者として出場していました。予選Bグループでは首位で決勝トーナメントに進出。決勝トーナメント初戦、準決勝の相手は開催国の韓国です。

 先発・石井丈裕(プリンスホテル~西武)から2番手・潮崎哲也(松下電器~西武)と継投し7回に韓国に先制点を許してしまいます。ですが7回途中から3番手で登板した野茂英雄(新日鉄堺~近鉄、ドジャースなど)が好投し流れが変わりました。先制された直後の7回裏には私が韓国のエース・朴東熙から同点本塁打を放ちました。

 8回には古田敦也(トヨタ自動車~ヤクルト)の犠飛などで2点を追加し3―1で勝利。米国との決勝に駒を進めました。2回に日本が1点を先制するも、4回に先発・石井がティノ・マルティネスに2ランを浴びるなど3点を失いビハインドの展開。投手は渡辺智男(NTT四国~西武)にスイッチしましたが、5回にもマルティネスに適時打を許し3点のビハインドを背負うことになりました。

 このマルティネスのことは、メジャー好きの方々ならピンとくるんじゃないですか。五輪の後はMLBドラフト1巡目でマリナーズから指名を受け入団。92年からレギュラーに定着し95年シーズンは初の大台を超える31本塁打、111打点を記録しています。

 その後、96年からヤンキースに移籍すると98年から2000年の3年連続ワールドシリーズ制覇にも貢献しています。97年はキャリアハイの打率2割9分6厘、44本塁打、141打点と圧倒的な数字をたたき出しました。そりゃ、オリンピックでも活躍しますよね。

 88年のソウル五輪決勝に話を戻します。5回に2点を返し3―4の1点差。6回からは3番手で潮崎が登板し2イニングをパーフェクトに抑えます。が、8回に好投していた潮崎がマルティネスに外角低めの直球を左翼上段にソロを浴び2点差。3―5のスコアのまま日本は先発のジム・アボット(後にエンゼルス)に完投勝利を許し、ロサンゼルス大会に続いての連続金メダルとはなりませんでした。

 米国代表にはほぼ、負けたことはなかったんですよ。ただ、五輪直前のワールドカップの予選リーグで初めて敗戦し、若い選手がメキメキと力をつけてきたなと感じていました。日本では野茂、潮崎という20歳になる世代が急成長を遂げたように、経験を積むに従って実力をつけていったんだと思います。

 私はソウル五輪では全5試合で4番を務め、全試合で打点を記録するなど、21打数10安打、打率4割8分6厘、1本塁打の成績でした。プロ入りは遅れてしまいましたが、オリンピックでの銀メダル獲得は素晴らしい思い出になりました。

 次回以降は全日本で一緒にプレーし、後にプロでも大活躍した野茂や潮崎、古田らのことについてお話ししたいと思います。野茂、潮崎はオリンピックの前年、87年には全日本にも入ってなかったわけですからね。当時の私の印象を語らせてもらいます。