【橘高淳 審眼(39)】38年間に及んだ審判員生活の中で、私は辞めなければならないと覚悟した試合がありました。それは2004年10月16日にナゴヤドームで行われた日本シリーズ第1戦です。互いに就任1年目でリーグ優勝を決めた中日・落合博満監督、西武・伊東勤監督が率いる実力派チーム同士の熱戦で、私は球審を務めていました。

 5回裏の中日の攻撃でした。一死一塁から谷繁元信選手の打球は野田浩輔捕手の前へのゴロとなりました。野田捕手はすぐに打球を処理し、ボールを持った右手で谷繁選手のふくらはぎにタッチを試み「アウト」と声でアピールがありました。その時点で私は打者走者のアウトを宣告しました。

 続いて野田捕手は二塁に送球。本来であれば二塁はタッチプレーになるはずですが、一走のオマール・リナレス選手にフォースアウトを宣告し、遊撃の中島裕之選手が一塁に転送。中村稔一塁塁審はアウトを宣告し、西武側は「2―6―3」の併殺成立と判断し、ベンチに引き揚げていきました。

 あの時、私ははっきりと「アウト」と宣告しているんです。その様子は映像にもしっかり映っていますし「2―6―3」の併殺ではなく、「2―6」のタグプレーで併殺になってなければなりませんでした。谷繁選手は諦めて足を緩めて一塁アウトになっている。そういった状況を私が見抜いて、瞬時に判断を下せればよかったんですが。

 オンラインの打球で、私は打者走者と捕手がかぶる位置にポジショニングしていました。まず大事なのは、その打球がフェアかファウルかという判断。さらに、野田捕手が打者走者のふくらはぎにタッチして「アウト」とアピールがあったのですが、タグされた自覚があれば本能的に打者走者は走らない。

 野田捕手もタッチしたつもりでプレーを継続している。でも、そのタッチが届いてなかったかもしれない可能性も頭に入れ、二塁に送球して「2―6―3」の併殺を取ろうと切り替えてプレーを続行したのかもしれません。こういったさまざまな状況を確認することが求められます。現在はリプレー検証で判断することができますが、当時はできませんでした。

 プレーは一瞬です。この時点で中日・落合監督は審判団に「打者走者に対するタグによりアウトが宣告されたのなら、二塁はタッチプレー。一塁走者はアウトではない」と確認に来られました。審判団として協議の上、フォースアウトの判定を取り消し、二死二塁から試合を再開することに決めました。

 すると今度は西武・伊東監督が黙っていません。「一度審判員がアウトと言ったのだから…」と異議を唱えました。伊東監督は頑として引かず、抗議は49分間に達していました。当時、監督の抗議は5分以内と定められており、本来なら退場を命じなければならない決まりでした。

 しかし、抗議時間は5分を大幅に過ぎてしまっていました。日本シリーズという晴れ舞台で監督を退場にしたくないという葛藤があったことは確かです。この顛末は次回、お話しさせていただきます。