そんなんオマエ、28人やったらしんどいわ――。阪神・岡田彰布監督(66)が16日に東京都内のホテルで行われた12球団監督会議に出席。NPB最年長監督として2年連続となる座長を務め、他球団の指揮官たちと意見を交わした。ソフトバンクへFA移籍した山川穂高内野手(32)の人的補償を巡る騒動が球界内で大きな問題となっているが、1990年代前半に労組・プロ野球選手会の会長として同制度の成立に尽力したのが現役時代の岡田監督。時代の流れとともにさまざまな課題が顕在化しつつある今、単独直撃にその胸中を明かした。

 この日の会議で主な議題となったのはさらなる試合時間短縮を期し、前打者の打席完了から次打者が構えるまでの「30秒ルール」の確認や、リクエスト制度の改善点などについて。虎の指揮官も「各球団の監督が今年もプロ野球を盛り上げていこうという結論で終わった」と会議終了後の公式会見で総括した。

 NPBを代表してこの日の会議内容を説明した杵渕セ・リーグ統括によると、現在大きな話題となっている「人的補償問題」は議題化されなかった模様だ。だが、鷹投の精神的支柱・和田毅投手(42)がプロテクトリストから外れていたとみられる一連の問題が、今後のFA制度運用へ大きな影を落としてしまったことは疑いようのない事実。同制度の改革を求めるファンの声は、日に日に高まっている。

 指導者としてだけでなく、現役選手としても華々しいキャリアを積んできた岡田監督だが、労組・プロ野球選手会の会長としてFA制度成立を主導したことも自身の大きな自慢の一つ。それだけに自軍の選手がFA権を取得しても「自分で勝ち取った権利やからな」と選手個々の決断を全面的に尊重する姿勢を貫いている。

FA制度を導入した選手会会長時代の岡田監督(1993年)
FA制度を導入した選手会会長時代の岡田監督(1993年)

 だからこそ、新春早々に勃発した今回の騒動には複雑な思いを抱いているようだ。

「俺らがFA制度を作った時にはな…。そうや、40人までプロテクトできたんよ。だから人的補償が問題になることはなかったんや。それがだんだん人数が減って、今プロテクト可能なのは28人やろ。そらしんどいよ」

 FA制度が成立した1993年当時、人的補償の対象外としてプロテクト可能な人数の上限は40人だった。それが時代の流れとともに35人(96年)→30人(2003年)と減っていき、04年には現行の28人に落ち着いた。

 岡田監督は第1次政権時の2007年オフに、現広島監督の新井貴浩をFAで獲得。人的補償として若手有望株の赤松真人(現広島一軍外野守備・走塁コーチ)の流出を余儀なくされたが、その際にも「広島のチーム事情を読み切った上で、ギリギリのラインでプロテクトリストが作成できるよう苦労と工夫を重ねた」と球団関係者は振り返る。

 投打ともに20代の選手が主力の大半を占める今の阪神が、もしFAで山川クラスの大物獲得に動けばどうなるだろうか? 28人のプロテクト枠は、日本一チームの一軍ベンチ入り選手と先発ローテ投手陣だけで、あっという間に埋まってしまう。そうなると将来性を買ってドラフト上位で指名したばかりの若手選手すら、プロテクトリストから外さざるを得ない状況に追い込まれることは明白だ。

「これでは今の阪神がFAで戦力を補強することは事実上無理なのでは?」と水を向けると、岡田監督は「ウッフッフ…」と言葉を濁しながらも〝そらそうよ〟な表情を浮かべ、静かにうなずいた。