【森脇浩司 出逢いに感謝(47)】根本陸夫監督がよく言われていたのは、やり直しのきかない人生はないということ。ここからもう1回歩むんだ、という時が人生のスタートなんですよね。一度、色紙にサインをお願いしたことがあったんです。「サインなんか書いたことねえよ~」なんて言いながら名前の横に「終わりなき旅」と書かれた。いわゆる座右の銘ですね。王貞治さんは「氣力」ですけど、根本さんらしいなと思った。いくら年をとっても日々勉強。旅に終わりはなく、終わるまで頑張るんだということを改めて感じました。
1993年の根本さんの1年目。広い福岡ドームで投手力の整備がまず大事と考え、そういう中で僕をサードで使うと言われました。あの人の構想では西武監督時代に広岡達朗さんに譲った時と同様、土台を作り、ある程度できたら勝てる監督にバトンタッチするつもりだった。時代が変わっていく中で大事なのはイベント、それが「ON決戦」でした。東の巨人・長嶋茂雄さんと西のダイエー・王貞治さんが日本シリーズで対戦することが、今後の野球界にとって絶対に必要だと誰よりも考えておられたんです。
その年はサッカーのJリーグが発足。野球選手、Jリーガーがお互いを意識したような発言をするようになりましたが、協力し合って頑張ればいい。野球のほうが歴史が古いわけだから野球選手が「サッカーにも目を向けて」みたいな発信をしたら球界の価値も上がるんじゃないかと、そんな話も根本さんとしてましたね。
その年はドーム元年を飾ることができず、最下位に転落。水面下で王さん招へいの計画を進めていた一方で、実質的にフロントのトップでもあった根本さんはオフに古巣西武と3対3の大型トレードを成立させました。秋山幸二と佐々木誠という中心選手を入れ替えたんです。以前から「これからダイエーに何が起きるかしっかり見とけ。チームを変えていくには枝葉を代えて無理なら幹を代えるんだ」と聞いてましたが、それが秋山と佐々木とは思わないですよね。
FAで松永浩美を獲得し、ドラフトでは小久保裕紀がダイエーを逆指名。94年は惜しくもAクラス入りを逃して4位でしたが、17年ぶりに勝ち越し、いよいよ水面下で説得を続けてきた王さんが新監督に就任する流れになっていくわけです。その年の夏前、解説者だった王さんが西武球場の西武―ダイエー戦に来られていた。天王山とか佳境なら分かりますけど、王さんがこんな時期にパ・リーグの解説に来られるんだな…とは思いましたね。
シーズン中、練習に根本監督がいないことは珍しくない。シートノックの時間や試合直前までいないこともあって、最初のころはコーチも「監督どこ行ったんだ」って言ってましたが、日常的になったらザワつかない。振り返ると「あの時も王さんと会いに東京に行っていたのか」って思います。












