【森脇浩司 出逢いに感謝(43)】南海ホークスは1988年に大手スーパーのダイエーに買収され、福岡に移転。待遇面が格段によくなりました。
特にスーパーだけあって食事面が充実し、系列ホテルだけでなく、平和台球場の選手サロンの冷蔵庫の中身が変わりました。プリンとかヨーグルトとかダイエーの商品がいっぱい入っている。相手チームの冷蔵庫も同じなので「ダイエーと試合するのが楽しみだ」って。そんな話題が出るのはうれしいですよ。試合前なので、そんなに重いものがあるわけではないけど、持って帰ったりね。ささいなことでも選手はうれしいものです。
オフの野球教室やイベント出演のギャラも南海時代と比べるとずっといい。でもある日、バスの中でマネジャーがイベントの話を選手にしていたら、僕より若い選手が「それギャラっていくらですかあ」って言うんです。マネジャーが「これくらいだよ」って言うと「えー、じゃあ行っても…」なんて言うんで、僕は黙っていられなかった。
「ちょっと待て」と。「ついこの前まで南海でこれよりもっと少なくても、みんな行ってたじゃないか。ダイエーになってちょっと高いギャラに慣れてくると、それが高いとか安いとか、そんなもんじゃないだろう…」と。若い選手数人に言いましたね。そんな錯覚を生むくらいダイエーの資金力があったということだと思います。
1年目の89年は4位に終わり、試合終盤の逆転が多かったので「閉店間際になると活発になる」なんて言われました。近鉄、広島にいたころはチームが強かったんで「だから強いんだ」と感じ、南海のころは「だから強くなかったんだ」と思っていました。ダイエーになってもメンバーはほぼ変わらず、本拠地を移しただけだったんでなかなか勝てなかった。今までよりいい環境をつくってもらったのに、結果として出せなかった。
2年目の90年から田淵幸一さんが監督に就任された。杉浦忠前監督も紳士的な人でしたが、田淵さんもいい人でしたよ。新監督になると「使ってもらえるんだろうか」とか選手はいろいろ考えるでしょうけど、チームが変わる経験はしていたので戸惑いはない。やはり田淵さんのネームバリューがすごかったんで、福岡のファンは盛り上がりましたよ。どんな野球を打ち出すんだろうか、という楽しみもあった。
あれだけ本塁打を打ってこられた人だけに、豪快で活発な野球という考えを強く持たれていました。低迷がずっと続く事実がある中で、豪快な攻撃と同時に緻密な野球も描かれていたと思います。選手ともコミュニケーションを取られていたし、僕はお世話になりましたよ。でも結果が出なかった。外国人選手のアップショー、バナザードが途中帰国したりで41勝85敗4分け、優勝した西武に40ゲーム差をつけられて最下位に終わりました。












