【森脇浩司 出逢いに感謝(41)】僕は1987年のシーズン途中に永田利則とともに、西山秀二との交換トレードで南海ホークスに移籍した。広島で津田恒実との出会いがあり、古葉竹識さん、達川光男さんらに多くのことを教わった。でも試合に出るチャンスは南海のほうがありました。
それまで接点が全然なかったのに、門田博光さんにかわいがってもらいました。若いころにアキレス腱を切るケガをされ、あの体で不惑のホームラン王ですからね。近鉄時代の鈴木啓示さん、広島の山本浩二さん、衣笠祥雄さんとは、また違う大きな存在でした。
フリー打撃の投手を15メートルくらいの距離から目いっぱい投げさせ、それをすごいスイングで打ち返す。キャンプでは重量のあるボールをマスコットバットで打ち、ウオーミングアップでは打撃投手を背負ったり、肩車してポール間を往復する。負荷をかけて下半身を鍛えるトレーニングをたくさんされていました。アキレス腱の影響でスピード系の練習ができないので、パフォーマンスを維持するためには負荷をかけてやるしかない。そういうことの積み重ねがないとあの成績は実現できないでしょう。
杉浦忠監督のもと、僕は内野手争いに加わって91試合に出場。チームは4位に終わりました。そして翌88年秋、僕がプロ10年目の28歳の時、南海にまさかの身売りの話が出たんです。10月にダイエーに買収され、福岡への移転を発表。僕がプロに入る78年に西鉄がなくなって西武ライオンズが誕生し、福岡の球団が消滅した10年後にまたできる。まさか大阪の僕がそこに行くとは…。その時も改めて先のことは分からないと思った。世間で買収、身売りという言葉が飛び交い、阪急も同時期にオリエンタル・リースに身売りの話になりました。
福岡ダイエーホークスとなって福岡に行く。最初はピンとこないし、これってどういうことなの? 福岡は遠征で行ったことあるな、くらいでね。野球人生を振り返ると大きな出来事でした。そのタイミングで門田さんがオリックスに移られ、関西を離れる寂しさもあるし、ワクワク感もある。腰もよくなってきていたし、新しい人生が始まるんだぞと…。
地元は10年ぶりの球団誕生に沸き返り、博多駅のホテルで歓迎パーティーが行われました。西鉄ファンも根強くいて本拠地・平和台球場での西武戦となると、ライオンズファン7~8割、ホークスファン2~3割くらい。西武は強かったですし、試合の点差もそれくらい。それが翌年になるとファンの数も五分五分になり、その翌年からはホークスがどんどん上回っていきました。観客動員はセ・リーグには全然及びませんが、南海とは比較にならないくらい増えました。
メンバーは南海時代とほぼ同じという中、当時の注目選手は地元福岡出身の山本和範さんでした。












