【森脇浩司 出逢いに感謝(37)】カープ時代の大きな出会いと言えば津田恒実です。最初は誰よりも愛想がなくてね。それが宮崎・日南キャンプの休みに一緒に宮崎市内へ食事に行き、それで友達になって後に親友という関係になっていくわけです。

 あいつは1982年にプロになっていきなり11勝6敗で新人王を取り、その後はケガもあった。僕が腰の骨を折った86年に抑えで復活し、49試合で22セーブを挙げてカムバック賞。ケガという部分ではつながることがあったし、津田からしても僕との距離が縮まったのかなと思う。

 最初の出会いから時間とともに親友となっていく中で思っていたのは、繊細で気が小さくていつも周りのことを気にしていたこと。登板してセーブを挙げても挙げなくても試合後に僕の部屋に来て「今日の俺どうだった?」と聞くんです。どうだったってピシャリと抑えてんだから聞くまでもない。要は「よかったぞ」と言ってもらいたいということ。何を言ってもらいたいか分かる。走者を出してセーブを挙げたら「周りからはどんなふうに見えたか」「ベンチで俺のことをどういうふうに言っていたか」が気になるんです

 あれだけ豪快なピッチングをしていてすごく内面は繊細。一番仲がいい僕だから聞いてきてたんでしょうし、安心感がほしいんでしょう。例えば「何が理由で四球になったんだ」なんて言ってあげることもあったし、僕と話して安心感を得て1日が終わる、みたいなね。本質はそこにあるんだけど、マウンドでは強い津田を演じていた。舞台に上がると演じ切らなきゃ勝てない、という。繊細で弱気な部分を出すと相手に勝てないし、チームに迷惑をかける。だから強い姿を演じ、ユニホームを脱ぐと素の自分を出すんですね。

 鬼気迫る姿で相手に立ち向かい、全球ストレート勝負。マウンドに行く前から演者となる。普通の状態ではビビるので強い自分を分析して作る。不安に襲われても幕が開けると大きくなっておかなきゃいけない。日々の訓練を行っていた。

 僕は腰のケガもあって87年から南海に移籍。津田は「炎のストッパー」として活躍し、89年に51試合で12勝5敗、28セーブで最優秀救援投手賞を獲得しました。その後に右肩痛で調子を崩し、91年4月14日の巨人戦の登板を最後にグラウンドを離れました。その年のオープン戦の最後に福岡・平和台でダイエー対広島戦があり、グラウンドで話したのを覚えています。

 体調が芳しくなく、状態が上がらない津田は4月14日の試合後、池谷投手コーチに「登録を抹消してください」と申し出て病院に向かった。広大病院で検査したところ、脳腫瘍が判明するわけです。かといって意識がなくなるわけではなかったですが、病状が進行するにつれていろんな病院に行き、福岡の済生会病院に来るわけです。その時に会った彼の姿は…。