【森脇浩司 出逢いに感謝(34)】カープ時代の山本浩二さんは大きくて遠い存在だったので、あまり話をできるまでにはならなかった。ロッカーは近くて真ん前が浩二さん、両サイドが衣笠祥雄さんと高橋慶彦さん。トレードで来たから気を使ってもらったのか分からないけど、大御所の中に入れられた。近くにはいてもなかなか話せないような…。ただ衣笠さんは最初のキャンプで同じ部屋だったんです。宮崎・日南の旅館みたいなホテルですが、ちょくちょく話はしていただいていましたね。
同じショートのポジションには高橋慶彦さんがいました。最初見た時、正直言って及ばない、と思いましたよ。僕だって自分がどれぐらいの力があって相手はどれくらいかは分かる。やっぱり及ばないと…。慶彦さんに限らず、この人を目標とする、この人を超えるためにはどれだけの技量が必要かと考えました。
ライバルとして存在できる力がない。それにヒザ、肩のケガの影響で送球を含めて思うように動けないこともあった。もし、近鉄時代のケガをする前の状態なら守備力で勝負になったかもしれないけど…。どのように改善していけばいいか、ということに向き合う日々が続きました。近鉄で言えば吹石徳一さん、石渡茂さん、永尾泰憲さん、カープなら木下富雄さん。万能タイプで効率よくボールをさばいていく。ダイナミックにさばく慶彦さんがいて、そういう選手を見て勉強していました。
慶彦さんはスピードがあって花形のショートを守り、トップバッター。出塁したらファイト満々に走り、ヘッドスライディングもする。ユニホームを脱げばとても清潔感のあるフレッシュな若者だけど、ユニホームを着れば毎日泥んこの野球小僧のよう。女性だけじゃなく、男性も引き付けるような魅力があったと思います。特に日本一になった1979年、80年は飛ぶ鳥を落とす勢いだったし、僕が入ったころもまだまだ勢いがとどまることはないという時期でした。同じポジションながら食事にも誘ってもらってましたね。
今年6月に亡くなられた北別府学さんはカープに入って一番初めに自宅に誘っていただき、奥さんの手料理をごちそうになったんです。非常に寂しい思いですし、ご家族の心中を察するにあまりあります。心からご冥福をお祈りいたします。当時は北別府さんも若くて、浩二さん、衣笠さんの主力選手のすごみと若い北別府さんが投打の柱だった。両方に主力がいる。慶彦さんとペー(北別府)さんは女性人気もすごかったし、僕も少しはね…。
1985年は阪神が優勝し、古葉監督が退任された。2年間でしたが、日々素晴らしさを感じていたので寂しかったですね。近鉄時代に日本シリーズで戦った広島に行き、古葉さんの下でプレーできたというのはある意味、必然だったのかもしれません。












