【森脇浩司 出逢いに感謝(40)】津田恒実は脳腫瘍で余命宣告まで受けていたのに一時は体調が回復して退院し、リハビリを頑張っていた。でも再び入院。そこから状態が悪くなって意識がなくなり、集中治療室に入った。亡くなったのが1993年の7月20日。僕は婚約していたのですが、彼が大病と闘っていたので翌年に延ばしたんです。94年の12月9日に結婚式を挙げ、僕としては披露宴に当たり前のように彼の席を作りました。
隣が達川光男さん、金石昭人とか仲間の席で、ホテルの人には「津田は食べるのが早い。みんなと同じように料理を出してください」と伝えていました。料理はなくならないですけど、同じペースで出して引いてね。キャンドルサービスでテーブルを回り、達川さんが「津田にもついでやってくれ」ってグラスにビールをついだりしてね。僕にとってはあえて津田の席を設ける感覚ではなく、普通に招待していました。来て当然だし、他の人は来れなくてもあいつは来るもんだと思っていたんでね。
津田の闘病生活は…人の生き方というか、困難に立ち向かうというのはこういうことかと教えてくれた。人はそれぞれ問題を抱え、周りからは小さく見えてもその人からすればすごく大きなことかもしれない。女にフラれたことだけでも大きいでしょ。僕は気持ちの弱いころの津田をよく知っていたので「あの津田がこの困難にここまで立ち向かうのか…」と。
本当に立派だった。意識がない時は意思表示はなくても、自分の中で闘っていたと思う。意識が戻るとつらさ、むなしさ…いろんな感情と向き合わなくてはならない。その事実が変えられない中で退院までこぎつけ、よくなったと思ったらまた体調が下がってくる。だけど、最後の最後まで立ち向かった姿は立派でした。
僕がダイエーの二軍コーチ時代の話ですけど、斉藤和巳、松本輝、斉藤貢を山口の実家近くにあるお墓に連れて行ったことがあります。当時、二軍の試合で岩国に泊まった時、レンタカーを借りてね。僕と津田の関係を知ってほしいとかではなく、彼ら3人の投手がこれから勝っていくために津田と会うことできっとプラスになるはずだと思った。二軍監督時代に何人か連れて行きました。
墓前に手を合わせることで何かを心の中に誓うと思うんです。苦しい時とか、きつかった時とか、心の支えになってくれたらと。津田のことに興味を持ってどういう投手だったか、どういう人物だったかを知ることで自分自身の励みにもなる。実際に津田はいないけど、必ず彼らを励ましてくれるでしょう。僕ができることの一つとしてお墓参りも必要かな、と思いますね。
僕は津田と出会った広島を87年に去り、トレードで南海に移籍。そこからホークスとしての野球人生が始まることになります。











