【森脇浩司 出逢いに感謝(1)】「名参謀」「ノックの達人」として多くの監督をサポートし、内野手を育てたのが、森脇浩司氏(63)だ。2006年にはソフトバンク・王貞治監督の監督代行としてプレーオフ第2ステージまで進出。オリックス監督時代の14年にはソフトバンクとの「10・2決戦」で注目を集め、低迷したチームを2位に躍進させた。現役時代はケガに泣かされ、指導者としては川崎宗則らを鍛え上げた森脇氏が、激動の野球人生を語る。
オリックスの監督として2年目の2014年、チームは優勝した巨大戦力のソフトバンクに勝ち星で2つ上回るという大きな躍進を遂げました。ポイントゲッターだった長打力のある李大浩とバルディリスが前年オフに退団。ないものねだりしても前に進まない。ホークスは柳田悠岐、中村晃、内川聖一、長谷川勇也、それに敵となった李大浩らタレント揃いで、まだ松田宣浩も元気。戦力が充実している。ついていかないといけないし、野手は何とかなるかな、というのもあった。僕の契約期間の16年までに底力をつけないといけない、という思いでした。
その年は開幕の日本ハム戦こそサヨナラ負けでしたが、その後に7連勝、5連勝、6連勝と勢いに乗り、5月末まで首位をキープしました。西勇輝が開幕から8連勝。チームの連勝はともかく西の連勝はびっくりではないし、十分勝てる資質のある投手だったので「貯金をつくれる投手になってくれ。そこを目指すんだ」と。勝てる投手、同時に負けない投手になるにはフィールディングのレベルが高くないと勝てないし、クイックもできないといけない。そういうことを含めて西に伸びしろはありました。
僕は12年にチーフ野手兼内野守備走塁コーチとしてオリックスに入団。岡田彰布監督が個の価値観を高めようとしました。そこは引き継いでもう一度、やっていく。13年は借金7の5位で終わったけど、マイナスでも前に行ったと思った。さらに加速させていこうと…。選手の勝ちに対する意識が変わってきました。
リリーフ陣がレベルアップした背景には、馬原孝浩の存在が大きかったですね。寺原隼人のFAに伴う人的補償で12年オフに獲得し、13年はケガで3試合の登板でしたが、14年は55試合で32ホールドと活躍してくれた。ホークス時代からよく知っている彼の獲得をフロントにゴリ押しでお願いしたかもしれません。ソフトバンクのクローザーとして栄光を何度も経験した「勝ちを知る男」。その馬原効果がリリーフ陣に伝わったんです。たとえ投げられなくても馬原に払ったサラリーはムダにはならない、と確信していました。
彼は1秒たりともムダにする人物ではない。例えばアクシデントがあってもそれに向き合う最善の方法が分かっている。他の選手が持っている才能が馬原と接することでもっと開花する。一軍の舞台に立てなくても、一緒にリハビリの時間を過ごすことで得るものがある。馬原の存在は大きな意味があり、チームを加速させてくれたと思っています。リリーフの佐藤達也が67試合登板の大車輪で行ってくれ、平野佳寿はクローザーで62試合、40セーブ、馬原と同級生の岸田護も55試合に投げた。馬原も彼らに刺激を受けたと思いますね。
9月からソフトバンクとマッチレース。そして運命の「10・2決戦」へと向かっていきました。